箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >>皐月、睡蓮、花菖蒲・第2日目-2

 ●金福寺

(金福寺の歴史は2003年秋の項にあります)

ここもちょっとしたサツキ名所のはずなのに詩仙堂に比べて人は格段に少ない。地味な寺だからだろうか? 村山たか女の知名度が低いからか?
書院前の庭園の回りから奥の方へかけてサツキの刈り込みが続いている。一応満開見頃だが、毎年剪定が深いとのことで花数は控えめで、やっぱり地味である。

←左下の端、縁側沿いにあるのが桔梗


▲書院前の庭園

サツキの間を通って奥の小高いところにある芭蕉庵まで行ってみたが、この時季は上のほうには特に何もない。下へ戻って書院へ入らせて頂いた。普通の民家のようで、気軽に拝観できるところがすごい。あまりにも静かなので、座敷に座りサツキを眺めながらしばらくぼーっと過ごした。

縁側の下左側に小さな看板があった。カメラマンの皆さんへ「鹿が桔梗の花芽を食べてしまったので、今年は例年のような花付きは期待できません(要約)」とのこと。このあたりは山が近いとは言え周囲はごく普通の住宅街である。こんなところにも鹿が出るのか〜。
堤タクシーさんの情報によると、ここ数年はイノシシやサルの被害も各地でいくつか出ているそうである。動物にとって食べ物探しは最重要課題、いろいろ大変なのだろう。

一乗寺下り松町バス停からバスに乗り、ちょっと長い移動になるが次の智積院を目指した。東大路は特に混雑もなくスムーズに東山七条バス停に到着したが、観光シーズンは絶対にこうはいかないので皆様どうかご注意下さい。


▲奥に見えるのが芭蕉庵
▲丘の上から見おろす


 ●智積院

もとは秀吉の長男・鶴松(棄丸)の菩提を弔うため建立された祥雲寺と、秀吉が祀られた豊国社(豊国神社)の寺領にあたる。
智積院は覚鑁(かくばん)が新義真言宗を起こした根来山大伝法院内の塔頭であったが、秀吉の根来山攻めで焼失。住職だった玄宥が元和元年までに家康から祥雲寺と豊国社の堂宇や寺宝を与えられ、現在地に中興した。学問所として発展したが度重なる火災で堂宇を失い、祥雲寺の寺宝であった長谷川等伯一派の障壁画も一部焼失。講堂・金堂などは近年再建された。

智積院会館前の広い入り口のほうから入り、満開のサツキを背景にした狛犬に挨拶して参道を進んでいくと、正面に堂々とした真新しい金堂がある。弘法大師の生誕千二百年記念事業として昭和50年に再建されたものだそうである。
以前拝観したときは周囲に大勢の学僧(?)の皆さんが群がって掃除をする光景が壮観だった。智積院は新義真言宗・智山派の総本山であり根本道場なのだということを思い出す。今回は拝観者が一人二人居るのみでとても静かだ。

金堂の隣の明王堂や一段と古めかしい大師堂を見てから、内部拝観に向かった。すれ違う僧侶の方々全員が「こんにちは」と挨拶をして下さるので、なんとも申し訳ないようなもったいないような気分になる。

大書院前の庭園(名前は無いのかな?)は中国の盧山を模して造られたもので、利休好みの名園と言われるそうである。(智積院前身の祥雲寺さえ利休没後の創建なので、実際に利休自身が見て気に入ったわけではないようだ。きっと「利休好みっぽい」という意味なのだろう。)
縁の下にまで入り込む池と、背後の山に連なるような大きな築山が特徴的である。大小たくさんの石組みと植え込みがあり、サツキがあちこちで花を付ける今は特に美しい。周りに再建されたばかりの新しい建物が多いためかあまり寺院庭園らしくなく、とてものどかで落ち着ける。湿気は多そうだが水量豊かな庭園もまた良いものだ。一家にひとつ、こんな庭。

この大書院にはかつて長谷川等伯一派の障壁画があったが、一部罹災したのちに収蔵庫に移され保存されているとのこと。あとで見に行ってみることにする。
現在の大書院には模写が数点置かれている。模写というか写真っぽい?妙な色鮮やかさにちょっと奇異な感じを受けた。しかし描かれた当時の絵は(絵に限らず建物も何もかも)出来たてホヤホヤの生々しい色だったはず。枯淡の味わいは年月を経て滲み出るもの、ということをつい忘れがちかも。
ところで、障壁画は本物でないのだから撮影可だったかもしれない。撮っておけばよかった。


▲建物は大書院
▲庭園右側
▲庭園ほぼ正面

最後に、受付横にある収蔵庫で国宝障壁画の本物を鑑賞した。
天才絵師・狩野永徳を中心とした狩野派の力が絶大だった頃、祥雲寺の障壁画制作を任された長谷川等伯は一門を率いてこれに取りかかった。等伯の後継者となるべき息子の久蔵も「桜図」を手がけたが、久蔵は絵の完成直前(直後?)に26歳の若さで急逝してしまう。等伯は深い悲しみを乗り越え「楓図」を完成させた、とのこと…。渾身の力を振り絞って描き上げたのだろう。心して見なくては。


▲座敷奥から撮ってみた
絵の前には太く頑丈そうな柵が巡らされているので、座敷の中央から眺めるような視点で鑑賞することが出来ない。柵に張り付いてかぶりつき状態で見るしかないが、それはそれで絵の迫力を間近に感じることが出来る。個性的な構図や松や楓の力強さ、桜の繊細さが印象的だ。
門下筆とされる「雪松図」の解説に「弟子達のかなり苦心された跡を知ることができます」とある。一門の名を汚すまいと必死に取り組んだがいまひとつの出来だったのだろうか?…と思うとまた別の意味で感慨深いものがある。
長谷川等伯の生涯は不明な部分が多いらしい。代表作の「松林図」は全く画風の違う水墨画だし、利休の肖像画としては最も有名な渋い表情の「利休居士像」も等伯の作なのだそうだ。機会があったら他の作品も見てみたいと思う。

次の目的地、泉涌寺塔頭の雲龍院はバス停からやや離れているのでタクシーで向かうことにした。 〈つづく〉


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