箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 花の命は長持ちで・第2日目-1
【第2日目】4月8日 嵐山近辺大覚寺広隆寺立本寺平野神社
 四条大宮駅
  ↓(京福嵐山線)
 嵐山駅
  ↓(徒歩)
 渡月橋
  ↓(徒歩)
 天龍寺  
  ↓(徒歩)
 大河内山荘
  ↓(徒歩)
昼食
 ↓
嵯峨釈迦堂前バス停
 ↓(京都バス)
大覚寺前バス停
 ↓
大覚寺
 ↓(タクシー)
広隆寺
 ↓(市バス)
千本丸太町バス停
 ↓(徒歩) 
立本寺
 ↓(徒歩)
北野天満宮前バス停
 ↓(市バス)
衣笠校前バス停
 ↓(徒歩)
平野神社
 ↓
衣笠校前バス停
 ↓(市バス)
ホテル
 ↓(阪急電鉄京都本線)
河原町駅
 ↓(徒歩)
虎杖・京はやしや
 ↓
ホテル


2日目朝は久々の嵐山方面です。もちろん大混雑のドツボにはまるような事態は避けたいので、ホテルの朝食バイキングを頂いたあと出来る限りの速度で四条大宮駅へ向かい、京福電鉄に乗り込みました。

嵐山駅を出ると時刻はまだ8時半過ぎ。嵐山とは思えないほどの静けさがあまりにも爽やかすぎるので、天龍寺拝観前にちょっと渡月橋を渡って寄り道することにした。川べりのソメイヨシノや中ノ島公園の枝垂れ桜はほぼ満開見頃で気分爽快。つい長居してしまいそうなので寄り道は適度に切り上げ、混み合う前に入るべく早足で天龍寺へ向かった。


▲渡月橋のたもと


 ●天龍寺

夢窓疎石の勧めにより、後醍醐天皇の菩提を弔うため亀山殿跡地に足利尊氏が創建、康永4年?(1345)完成。造営資金を補うため天龍寺船と呼ばれる船が派遣され、途絶えていた元との貿易が再開された。当初は暦応資聖禅寺と称したが延暦寺の反対により天龍寺と改められる。足利幕府と朝廷の帰依を受け、京都五山の一位として大きく栄えたが、度重なる火災で衰退し幕末の蛤御門の変でまたも焼失。大半の堂宇は明治以降の再建である。
夢窓疎石作と伝わる庭園「曹源池」は創建当時の面影を濃く残している。


▲曹源池庭園

まだ朝の気配が濃い境内は人もまばらで清々しい。両側に趣深い塔頭がずらりと並ぶ参道はソメイヨシノがところどころで満開。途中、某コーヒー会社の広告制作スタッフらしき人がパネルを数枚広げて準備している珍しい光景に出会った。

天井の雲龍図が見ものの法堂を通りすぎ、受付の庫裏に到着。ところが久々の天龍寺に興奮したせいか、庫裏へ入るのを忘れて先に庭園へ向かう順路へ進んでしまったのである。あわてて戻ろうとしたが戻れず、堂内拝観はパスする羽目になった。庫裏で出迎えてくれる達磨図のインパクトあるご尊顔を久々に拝したかったのに。方丈の座敷から眺める庭園や多宝殿の後醍醐天皇木像なども見たかった…。しかしここでめげずに庭園散策に力を入れることにして先へ進んだ。

借景の嵐山亀山に溶け込んだ築山と池からなる曹源池庭園は、池の面積の割に壮大なスケールが感じられる。鯉が滝を登って竜と化す様子を表した竜門式と呼ばれる滝石組や、滝石組の前にかけられた橋石組は、現存する最古の形式のものだそうだ。滝石組は枯れている時も実際に水が流れる時も鑑賞できるように(これが意外に難しいらしい)、優れた感覚によって組まれたものだそうである。
天龍寺は創建以来8回に及ぶ火災でことごとく伽藍を焼失し、明治期には境内が上地されるなどさんざんな目に遭っているが、この曹源池庭園は無傷だったのだろうか。下手に手を加えられたりという危機に瀕することはなかったのだろうか。

池の奥にも散策順路は続く。直立する巨大な硯石に驚かされるが、これは法堂の「雲龍図」を描く際に墨をすった硯なのだそうだ。本当だろうか?
多宝殿前の早咲き枝垂れ桜は満開直前の感じ。大きく立派な樹だがあまり均整のとれた姿とは言えないかもしれない。奥の百花苑ではつぼみ〜咲き始めの遅咲き枝垂れ桜や鮮やかな色のミツバツツジ・ボケなど多くの花を見ることができた。ここはあまり話題にされないようだが、様々な花が折り重なるように咲いていて美しい。


▲曹源池庭園中央のあたり
▲多宝殿前の枝垂れ桜
▲百花苑のミツバツツジと桜
▲丘の上から見た多宝殿
今回は庭園散策のみだったため全体的に詰めの甘い拝観になってしまい、ちょっと悔しい。奥が深いはずの天龍寺、「次回はきっちり全部見せてもらいますよ」と捨て台詞を残し(なんでだよ)次へ進むことにした。
北門から出ると大河内山荘への近道になる。この時点で朝の予報通り小雨がパラついてきたので、早足で向かった。


 ●大河内山荘

1931(昭和6年)映画俳優の大河内傳次郎が造営を始めた山荘。64才で亡くなるまでの30年をかけて築き上げた回遊式大庭園は、小倉山の斜面を生かし嵐山などの借景を取り入れたもので、四季折々の姿が美しい。自ら構想し寝殿造・書院造・数寄屋造などの様式を取り入れた「大乗閣」、瞑想し座禅を行った「持仏堂」のほか、茶室「滴水庵」や展望台「月香亭」、大河内傳次郎記念館などがある。

印象的なスッとした竹林の間をしばらく歩くと山荘の受付に着く。雨宿りをするためとにかくまず抹茶席へ急いだ。桜餅とお抹茶をゆっくり堪能しているうちに雨も小降りになり薄日が差し始めたので、えいやっ!と散策を開始する。来た順路のほうへ向き直ると、深い緑を背景にした清楚な早咲き枝垂れ桜が小雨に枝を揺らしていた。

先へ進もうとするとまた雨足が強くなってきたので、こじんまりとした簡素な中門の下で雨宿り。幸い数分で雨は上がり晴れてきた。
中門の奥には山荘の中心的存在、大乗閣がある。日本の伝統的な住宅建築様式をすべて取り入れた(!)独創的な造りだそうだが、奇抜な感じは受けない。
そこから迷路のような細い順路に従って山荘内を一巡りする。さまざまな植物に挟まれた小道のところどころで視界が開けて小さな建物達が現れてくる。テーマパークのアトラクションのようだ。北側には比叡山・大文字・東山三十六峰・双ヶ丘と市内が見渡せる比叡展望台、南には嵐山と保津川を眺められる嵐峡展望台があった。市内の方向にはすぐ下の斜面の桜が海のように広がり、日差しを受けて輝くようだった。

大河内傳次郎の映画人としての生涯を伝える記念館が順路の締めくくりになる。迫力ある表情を写し出すパネルなど見て回り、「この人が生涯をかけてこの山荘を築いたか〜」などと思った。


▲桜の海!上手く撮れてないですが
▲嵐峡展望台から見た嵐山

大河内傳次郎は映画出演料の大半をここに注ぎ込んだというが、逝去するまでにどのくらいの満足度に達していたのだろうか。造営途中だとしたらその先を遺族の方が引き継いだのか、それともそれなりに完成していたのか。とても気になるが調べてもわからなかった。ご存じの方がいらっしゃいましたらお教え頂きたいです。


再び混雑する竹林を歩き、途中の野宮神社を通り越して昼食場所へ向かった。
で、その昼食だが、一応懐石風のコース料理的なものを出すという食事処を地図とネットで見つけて訪ねてみたのだが、献立にそぐわない俗っぽい田舎の喫茶店のような趣味の悪い店内にびっくり仰天。なんとも居心地が悪くて、しっかりと味わえないままに店を出た。
嵯峨釈迦堂前バス停から京都バスに乗り、次の大覚寺を目指す。 (つづく)


▲途中、清涼寺の桜

箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 花の命は長持ちで・第1日目-1