箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 花の命は長持ちで・第1日目-3

 ●常照寺

元和2年(1616)本阿弥光悦の土地寄進を受け、日蓮宗中輿の祖と言われる日乾上人により創建された。一時は三十余りの堂宇が並び、多くの学僧が学ぶ鷹峰檀林(学問所)として栄えていた。
日乾上人に帰依していた天下の名姑・二代目吉野太夫ゆかりの寺として有名であり、太夫が寄進した「吉野門」や太夫の墓、吉野窓のある茶席「遺芳庵」、夫の灰屋紹益と共に名を刻まれた比翼塚などがある。他に国内唯一の帯塚がある。

←吉野門と吉野桜

仏教大学前バス停から光悦寺方面へ向かうバスに乗り鷹峯源光庵前で下車した。紅葉最盛期には人があふれんばかりに賑わう狭いバス通りも、今回は観光客らしい姿は全く無い。
常照寺は復興時に吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜があり、4月第3日曜に吉野太夫花供養が行われるなど、それなりに桜名所のはずである。多分まだ時期が早すぎるのだろう。

門前に到着してみると… やはり驚くほど咲いていない。まるで禿げ山のような寂しさ。一見ソメイヨシノ風に見えるが4月第3日曜に見頃になるというのだから別種のはずである。それともソメイヨシノの中の遅咲き品種なのだろうか?(そんなのあるのか?)

わけのわからぬまま朱塗りの吉野門をくぐり、受付を済ませて庭園内へ進んでみた。意外に奥行きのある庭園には梅の咲き残りや小さな野草などいくつか見られたが、ソメイヨシノ風の桜はせいぜい2分咲き程度。目立つのは鬼子母尊神堂の前で3分程度まで開花した小さな紅枝垂れ桜だけである。これでは花見は諦めざるを得ない。
かと言って、この寺ゆかりの吉野太夫灰屋紹益のロマンスに心を馳せるというのもあまり気が乗らないが、日暮れまでまだ時間もあることだし、とりあえず遺構を見ておくことにした。吉野太夫が好んだという丸窓「吉野窓」のある茶席の遺芳庵と、開祖の日乾上人を祀った開山堂の後方にある吉野太夫の墓

さてそこで太夫さんの生涯を思い出してみる。
吉野(本名:松田徳子!)は、容姿の美しさはもとより教養と一流の諸芸に秀でていたという江戸初期の名妓。本阿弥光悦の縁故で二十代前半のとき日蓮宗の日乾上人に帰依し山門を寄進、26歳で豪商・一流文化人の灰屋(佐野)紹益に見初められ身請けされた。
しかし吉野は38歳の若さで病死、紹益は悲しみのあまり吉野の骨灰を飲みほしたということである。

ところが、日乾上人に帰依していた縁で(遺言で?)吉野は常照寺に埋葬されている。後年亡くなった夫・紹益の墓は当然ながら菩提寺である立本寺に建てられたのだが、吉野は夫よりも日乾上人のそばで眠ることを望んだということなのだろうか?
常照寺にある比翼塚は「別々の墓で眠る夫妻を添わせてやろう」という動きから昭和46年に建立されたものだそうだが、すると時々見かける「立本寺に夫妻の墓がある」という記述はやはり間違いなのだろうか?


▲鬼子母尊神堂と枝垂れ桜
▲枝垂れ桜(結構いいかんじ)

寺の縁起や歴史をガイドブックや手近な書籍で調べていると、いろいろと前後関係に謎があったり辻褄の合わない点があったりするので困ってしまう。学術的な文献などをひもとけばよいのだろうけど…

境内でウダウダしているうちに帰りのバスの時刻になり、この日の拝観はこれでおしまい。


さて恒例の夜のプチオフ会は、烏丸御池駅近くのレトロモダンなファッションビル「新風館」にある「Tawawa」にて厳かに催された。新風館は、中庭のイベントホールをぐるりと囲む吹き抜け風の建物で、斬新な造りと個性的なショップ群にびっくり。その中庭は以前「新選組!」トークショー【伊東甲子太郎&藤堂平助編】の舞台にもなったというので感激もひとしおである。
「Tawawa」は京野菜をふんだんに使ったメニューが豊富で、いつもとちょっと目先の変わった楽しく美味しい健康的なオフ会になりました。芭雨さんKEIJIさんありがとうございました。
〈2日目につづく〉


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