箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 花の命は長持ちで・第1日目-1
【第1日目】4月7日 妙顕寺/妙覚寺近辺今宮神社常照寺
 京都駅
  ↓(地下鉄烏丸線)
 鞍馬口駅
  ↓(徒歩)
 妙顕寺
  ↓(徒歩)
 妙覚寺  
  ↓(徒歩)
 水火天満宮 
 ↓(徒歩)
天神公園前バス停
 ↓(市バス)
船岡山バス停
 ↓(徒歩)
今宮神社
 ↓(徒歩)
仏教大学前バス停
 ↓
 ↓(市バス)
源光庵前バス停
 ↓(徒歩)
常照寺
 ↓(徒歩)
源光庵前バス停
 ↓(市バス)
丸太町駅
 ↓(地下鉄烏丸線)
京都駅
 ↓(地下鉄)
ホテル
 ↓
新風館「Tawawa」
 ↓
ホテル


今回はさんざん迷いましたが、初心に返って基本のソメイヨシノを狙うことにしました。
4月第1週と第2週の宿をぬかりなく確保し終えたのが、折しも気象庁の冬の予報の追加発表が出る頃。「暖冬改め寒冬」って…なんだそりゃ。笑ってしまいますが笑ってる場合ではなかったのです。
寒い冬のあとには不規則な天候が延々と続きました。3月中旬の時点で桜開花予想日は一応「早め」と出ていましたが、依然として確信を抱けるほどの予想レベルには全く至っていないという事態。しかも(発表のたびに修正されるのが通例とは言え)京都の開花予想日は気象庁と民間で一週間のズレがある…。
ええかげんにしとくれやすヽ(`Д´)ノ

そして3月下旬になり、予想では4月第2週の半ばにソメ満開日が来てしまいそうな流れだったのですが、その後もなかなか去らないしつこい寒波が幸いして進行は若干停滞。うまいこと第2週末の上洛予定日に見頃開始が当たりそうな気配になってきました。



 ●妙顕寺

(妙顕寺の歴史は2003年春の項にあります)

妙顕寺へは、京都駅から地下鉄に乗り換えて鞍馬口駅で下車し徒歩で向かった。例年よりも少し肌寒いながら、静かな住宅街に降り注ぐ日差しは穏やかでマッタリと暖かい。
10分弱ほどで門前に着くと、5分咲きほどの紅枝垂れ桜が可愛らしい姿で向かえてくれた。遅咲きの枝垂れがもうここまで開花しているとはラッキーかも、と思いながら門をくぐる。


▲庫裏

視界が少し広く開けて、ほぼ満開に咲き揃ったソメイヨシノに飾られた境内は輝くように明るい。小さな紅枝垂れ数本も咲き始めていて控えめに彩りを添えている。3年前は長雨の中の暗〜い拝観だったので本当に見違えるようだ。
本堂裏へ回ると、堂宇を繋ぐ回廊周辺も満開のソメイヨシノで覆われていた。庫裏前の形のいい紅枝垂れは2〜3分咲き程度、これも満開になったら見応えあるに違いない。

前回行けなかった内部拝観にトライしてみることにする。観光客がほとんど居ないのでちょっと緊張しながら、庫裏にある受付に申し出て方丈へ入れて頂いた。すると使用途中の掃除用具が無造作に置きっぱなし…。これもまた日頃の拝観者の少なさを物語っているのかも。
方丈庭園は特徴はこれと言って見当たらないが、庭の周囲いっぱいに咲く桜が背景になっていて華やかだった。

この妙顕寺の開祖は日蓮聖人の法孫・日像上人だが、実はその日像を含む三聖人と言われる兄弟は、私の地元近くの千葉県松戸市・本土寺が生誕の地なのである。
日像は、日蓮入滅の際に特に選ばれて京都での日蓮宗布教(弘通)の大遺命を受け上洛、三度の追放ののちに天皇の許しを得て、京都における最初の日蓮宗道場としてこの妙顕寺を開いたそうだ。
本土寺は有名な紫陽花のほか桜・花菖蒲・紅葉などが美しい花の寺として親しまれている。変化に富んだ広い境内には五重塔や回廊など見どころも多く見応えがあるので、お近くの方もしくは日蓮宗に興味のある方はぜひ一度どうぞ。

予定時間以上に桜を堪能し妙顕寺を出た。次はすぐ裏手にある妙覚寺へ向かう。


▲本堂と妙顕寺型灯籠
▲咲き始めの枝垂れ桜
▲本堂裏の回廊


 ●妙覚寺

永和4年(1378)日実上人により創建される。比叡山衆徒による迫害や本能寺の変による焼失を経て再興、秀吉の命により現在地に移転するが天明の大火で焼失、本堂・祖師堂などはその後の再建。一時、日蓮宗不受布施派の中心的存在であった。
武家風の大門聚楽第薬医門を移築したも
のと伝わる。 寺宝は日蓮聖人の真筆 「盂蘭盆御書」など。祖師堂には日蓮・日朗・日像の坐像が祀られている。


▲大門と早咲き枝垂れ桜

今回は早咲き各種の開花以降、寒波の影響で進行が滞り花が長持ちしている。その関係で、次に開花を始めたソメイヨシノと見頃が大きく重なっているようだ。そしてまたソメの進行も滞り、次に控える紅枝垂れ系が続々と開花してこれまた見頃が重なってきている。かなり良い条件の年になりそう。

というわけで、妙顕寺から徒歩すぐ、早咲き・遅咲きの枝垂れ桜が見どころの妙覚寺。実は3年前から噂を聞いていつか来ようと思っていたのである。

まず山門(大門)の前に早咲きの枝垂れ桜があった。ピークを過ぎて微妙に色抜けし始めているものの、散りも無く満開状態を保ってくれている。なんて健気なんだ。背景の山門の渋い色に、紅枝垂れとはおもむきの違う白く小さめな花が映えてとても清楚。全体の姿も美しい。観光寺院ではないので拝観者はほとんど訪れないが、ときおり桜に見とれて立ちつくす人もいた。


▲大門と早咲き枝垂れ桜
▲よく見ると散り際ぎりぎり

境内は、本堂(祖師堂?)そばにソメに似た花を付ける木があるのみで特に何もなく、一部駐車場と化していてやや寂しい。噂によると要予約で内部拝観も可能(紅葉期のみ?)で、秋には前庭「法姿園」の苔に積もる散り紅葉を座敷から眺めることが出来るらしい。画像を載せてらっしゃるサイトをいくつか拝見してみたが、有名紅葉名所にも負けない風情に驚かされる。

裏側へ回ってみると、塔頭の一つである善明院の門内からまだ2分咲き程度の枝垂れが覗いていた。ここはやや開花が遅めのようだが、きっと1週間もたてば遅咲き代表の立派な姿に咲き揃うに違いない。

ところで、西陣から寺之内あたりを中心にやたらと「妙」や「本」の付く寺が多いなぁと思っていたら、これらは日蓮宗系本山だった。
もとは地方教団に過ぎなかった日蓮宗だが、日蓮聖人の法孫・日像上人が京都において布教を始めると商人や職人などの町衆に特に受け入れられた。この界隈に日蓮宗寺院が多いのはそのためだそうである。京都での布教に当たっては既存の宗派からの激しい弾圧にも遭ったが、のちに後醍醐天皇によるお墨付き?(綸旨)を賜り、足利将軍家の庇護も受けて、室町時代には日蓮系教団はかなり大きく発展した。
とは言え、その後も比叡山宗徒・一向宗徒その他による迫害は執拗に続いている。天文法華の乱では日蓮宗21の本山が焼き討ちされ京都での勢力を失う大打撃を受けたそうなのである(21寺は堺に避難、6年後に許しを得て15寺が洛中に帰還)。朝廷はこれをどう見ていたのだろうか?我関せず?

また戦国時代には斎藤道三の子が貫首を務めたり、伊達政宗や織田信長が上洛の際にここ妙覚寺を宿所とするなど、武将との関わりも深かったようだ。本能寺の変の際には信長の嫡男・信忠が宿所としていたそうである。そのため、あおりを食らって焼け落ちてしまったのだけど。

大門前に戻り、バス通りへ出る途中にある水火天満宮に寄ることにした。(つづく)


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