箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 濃いも薄いも綾錦・第2日目-4

 ●酬恩庵(一休寺)

鎌倉後期に大応国師(南浦紹明)が建立した妙勝寺がもとである。兵火で荒廃していたが、康正2年(1456)一休宗純禅師が再興し、師の恩に報いる意味で酬恩庵と名付けた。一休禅師は山内に虎丘庵を建てて晩年を過ごし没後は御廟所に祀られたため、酬恩庵は一休寺とも呼ばれる。その後、江戸前期に加賀の前田利常が方丈・庫裏などを再建。
永享年間に将軍・足利義教の帰依により建てられた本堂は、山城・大和地方の唐様建築としては最も古い遺構である。

京都の中心部から外れているのであまりメジャーな観光名所ではないが、一休さんこと一休宗純禅師ゆかりの寺であり見どころは多い。京都駅からなら(門前まではタクシーかバス利用になるが)近鉄の新田辺駅まで急行一本で、意外と交通の便も悪くない。と言いつつ訪れるのは今回が初めてである。
新田辺駅は立派なのでタクシーを探し回る時間のロスがなくて助かった。

走ること10分弱で郊外の静かな門前に到着。総門の先に見えるゆるい上り坂の参道が、雨に濡れた鮮やかな紅葉に彩られていて、予想以上の風情に期待がふくらむ。しかしちょうど横の駐車場から団体さんがゾ〜ロゾロと牛歩の歩みで入って来て出鼻をくじかれた。この寺もツアーコースに入ることがあるのか〜。

散り紅葉が艶やかな参道を上ると、茶室・虎丘庵と宮内庁管轄で立ち入り禁止の御廟所(一休禅師墓所)がある。一休さんは後小松天皇のご落胤(という説が有力)なので宮内庁管轄。なるほど。
後小松天皇の北朝を中心として南北朝が統一されたので、正室でなかった南朝出身の母上様は宮中から身を引き、民家でひっそりと一休さんを産んだ…という説を聞いたことがある。

その先の小さな中門をくぐって石段を下りた所にある(ちょっと面白い作り)庫裏方丈を拝観した。
方丈には、松花堂昭乗・佐川田喜六・石川丈山の合作と伝わるという方丈庭園があった。ソテツと白砂が印象的な正面の南庭、先ほど上ってきた参道に沿った東庭、禅宗寺院らしい枯山水の北庭からなり、紅葉は多くはないがそれぞれ個性的で興味深い。松花堂さんと丈山さんは私達にも馴染みがあるが、佐川田さんという名は初めて見た。淀あたりの文人らしい。

方丈では一休禅師木像や一休さん使用の「輿(こし)」を見ることができる。木像は、自身のヒゲと頭髪を植え付けて作らせたという型破りなもの。最近はテレビで紹介されることも増えたので見覚えのあるかたも多いかもしれない。「輿」は、ここと洛北の大徳寺との往復に使用したものだそうだが、それにしてはかなり硬くて痛そうだ。

一休さん関連グッズは、他に「一休禅師画像」や書き残した詩集などがある。
槇原敬之のおじいちゃんのような顔の一休禅師画像も最近はテレビで時々見かける。「一休さんは本当はこんな人だ!」とか見出しを付けられてアニメの一休さんとの落差をネタにされたりしている。

「とんちの一休さん」は後世の創作だそうだが、実際も幼い頃から利発で反骨精神に富んだ人だったようである。家柄や位や形式にこだわり貴族化した当時の禅僧に反発するかのように清貧に生き、酒を飲み生ものを食べ女性と遊び、おまけにドクロを付けた杖を持ち歩く…という、一見とんでもない坊さんだったらしい。
しかーし!81歳の時には大徳寺四十七世住持に任ぜられ見事に大徳寺復興を果たしている。その「禅」の心は高い評価に値するものだったということなのだろう。

一休禅師は亡くなる前に「自分の禅は自分にしかわからない。たとえ師であっても」という意味の歌を詠んでいる。
形にとらわれず自由な姿で精神を重んじ、形式張った禅の規則を嫌いながらも禅宗の僧であり続け、老齢になってもなお精力的に活動した一休禅師、その禅の境地とはいったいどのようなものだったのだろうか。(と疑問を持ちつつまだ勉強してない)

団体さんと一緒に庫裏を出ようとしたら、囲炉裏の部屋でお寺のかたが「お茶をどうぞ〜」とふるまってくださった。しかしこれは通常のサービスなのか団体さんのみ対象なのか不安だったので、まぎれて頂くのはやめて出ることにしたが、どうもこれは通常のサービスだったらしい。(涙)
売店では一休禅師考案の保存食「一休寺納豆」が販売されていた。大徳寺納豆のほうを食べたことがあるので違いを尋ねてみたら、一休寺納豆は大豆を蒸してから桶に漬けこむが、大徳寺納豆は大豆をゆでるか何かして漬けこむそうのだである。(せっかくお聞きしたのに記憶曖昧。しかも雨のなか荷物になるので購入せず。ひどい奴)

外は相変わらず雨。中門向かいの鐘楼近辺の紅葉も雨に打たれて散り中だがそれがまた美しい。
寺域は意外に広いようなのでさらに奥へ進むと、あまり大きくないが古めかしい重みを感じる本堂があった。このあたりの紅葉は色が抜けてとっくに終了しているものがほとんどで寂しい。さらに奥には宝物殿や大応国師が祀られた開山堂などがあるようだが、紅葉も無いし地面がむかるみまくりなので進むのはやめておいた。

本堂裏付近にホウキを手にした少年一休像と「このはし わたるな」の立て札付き小さな橋があるが、ツッコミ入れられたくて作ったとしか思えない違和感がたまらない。(「このはし わたるべからず」では?)

参道を戻り、名残の紅葉をもう一度良く見せてもらった。枝に残る葉とハラハラと散り積もっていく葉の比率が絶妙だ。このまま雨が降り続けばきっと今晩中にかなり見頃終了してしまうに違いない。最高のタイミングで拝観することができた。雨は嫌だけどこんな時ぐらいは感謝しておこう。
電話でタクシーを呼ぶと幸いすぐ来て下さったので、新田辺駅で一本早い急行に間に合った。


▲参道
▲参道の上、拝観受付前から
▲一休禅師の墓
▲方丈庭園(南庭)
▲方丈庭園(北庭)
▲怪しい橋
▲怪しい少年一休像

そして楽しい夜は三条通の雑貨屋巡りをしたあと、遅めの時間に予約しておいた「亀甲屋」で夕食にした。交通至便な場所にありながらちょっと隠れ家風の静かなハイセンス居酒屋(?)で、おすすめ料理などアラカルトを少量づつ頂いて大満足でした。料理人のお兄さんがたはとてもやさしかったです。 〈3日目につづく〉


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