箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 躑躅、石楠花、杜若・第2日目-1
【第2日目】5月8日 銀閣寺周辺〜小野〜三室戸寺〜平等院
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 銀閣寺
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 安楽寺
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二日目です。どうしても外したくない名所をふんだんに盛り込んだ大移動コースです。地下鉄東西線が六地蔵まで延長されたため、思ったほど大変な移動ではないはず。にしても、逆算すると朝一番の銀閣寺へは開門と同時に入らねばならないと判明(^^;)。かつてないほどの早起きをして、人力車の兄ちゃんの誘惑を振り切りつつ銀閣寺門前へと向かいます。



 ●銀閣寺(慈照寺)

相国寺の山外塔頭のひとつ。文明14年(1482)足利義政が建立した東山山荘を義政の遺志により禅刹に改めたのがおこり。観音殿(銀閣)は祖父義満の鹿苑寺舎利殿(金閣)や西芳寺(苔寺)瑠璃殿にならい、また庭園は善阿弥が西芳寺を模して造営した。風流人としての義政の才により侘び・さびの東山文化がここに築かれることとなった。
東求堂内の同仁斎は四畳半茶室の原型であり、現存する最古の書院造り。大海原のような銀砂灘に配された盛砂「向月台」は江戸時代の作。

開門前に寺に着くなんていまだかつてなかった。こんなに早起きができるのか自分!などと感慨にふけっているうちに時刻は8時半、門が開いたので一番乗りで突入した。ひと気のない銀閣寺の静けさは驚くほど新鮮。この隙に向月台銀砂灘銀閣の写真を撮っておかねば!と順路を行きつ戻りつ馬鹿みたいな歩きをしながら堪能する。しかしすぐに学生などの小グループがちらほら入ってきて、撮影し放題の時間はあえなく終了。しかも結局たいした写真が撮れていないのでかなりショック・・・。

気を落ち着けて、花の観察を。牡丹はほぼ終了の時期だったので期待はしていなかったけれど、かろうじて一輪だけ茎に張り付いていた。ツツジは見頃後半から枯れ始めに入っていて、残念ながら熟しすぎの崩れた花も多かった。意外とここのツツジは進行が早い? しかも本数が少なく、配置的にも建物と絡めるのが難しい。特に朝は変な日陰ができてしまう。なかなかうまくいかないものだ・・・。

この日は本堂東求堂弄清亭の特別公開期間中だったのだが、時間的にも料金的にも厳しいので(三カ所見ると入山料プラス2000円)やむをえずパスしよう・・・と思っていたら、公開は10時からとのこと。そもそも無理じゃん。というわけで、庭園をくまなく散策するだけで今回は満足することにした。


▲プリン型の向月台

▲銀閣(観音堂)とツツジ
凝ったつもりが変なアングル…

せっかく祖父作の金閣(舎利殿)まで見学に行き銀閣(観音堂)のデザインを練った義政だったが、残念ながら造営途中に没したらしい。書院造りの下層と観音像を安置した仏殿風の上層からなる銀閣は「当初銀箔を貼る構想があったが財政難のためボツになった」または「金閣に対して地味なので銀閣と呼ばれるようになっただけのこと」というのが今までの通説・・・だと思っていた。
しか〜し、寺側によると「壁面の漆塗りの上から銀箔を張ったという説もある」とのこと。そして2006年予定の大規模な銀閣修復工事の際に、銀箔の痕跡を科学的に分析する計画があるそうなのである。来年には事の真相が明らかになるかもしれないということだ。うほ〜!

銀閣寺を出て哲学の道を十数年ぶりに歩いてみた。たまにツツジがぽつんとひと株ある程度で、この時期特に花は無いし人も少ない。安楽寺まで歩く途中ちらっと法然院に寄ってみたが、山門付近がうっそうとして薄暗いせいか、カエデの緑が新鮮なわりにあまり清々しくないかも・・・。写真も良く撮れてないのでここは飛ばして次の安楽寺へ。



 ●安楽寺

法然上人の弟子である住蓮上人安楽上人が結んだ鹿ケ谷草庵が起こり。建永の法難の際に死罪となった両上人の菩提を弔うため、延宝年間頃に法然上人が堂宇を建立し住蓮山安楽寺とした。延宝9年(1681)現在地に本堂が再建される。境内には住蓮・安楽の供養塔と、後鳥羽上皇の寵姫だった松虫・鈴虫の墓が残る。

後鳥羽上皇の寵愛を受けた鈴虫姫・松虫姫法然上人の説法に感じ入り、安楽寺の前身・鹿ケ谷草庵の住蓮・安楽に出家を願い出て尼僧となった。当然のごとく上皇は激怒し、住蓮・安楽は死罪となり鈴虫・松虫は自害。
旧仏教側はかねてから庶民のあいだで盛んになりつつあった法然上人の専修念仏の弾圧を企て上皇に訴えていたため、上皇は住蓮・安楽の件を口実として法然上人と弟子の親鸞聖人をも流刑に処した。これを「建永の法難」という。らしい。

浄土宗系の寺を調べていると、法然上人迫害の話がいろいろ出てくる。庶民救済のため新しい事を唱えると迫害されるというのは現在でもあり得ることかもしれない・・・。


▲庭園のツツジは花付きパラパラ

散り紅葉で有名な石段上の小さな山門をくぐって中へはいると、樹木と植え込みがぎっしり並んだ静かな境内に出た。寺というよりもなんとなく田舎の豪農のお宅のような懐かしさがある。一部分だけ微妙に花が開きかけている丸い植え込みはサツキなのだろう。やっぱりここはサツキのほうが見応えあるのかも・・・と思いつつ堂内へ上がってみる。

自然を利用して作られた不思議なオブジェが置かれた廊下を通って奥の間へ。するとここにも囲炉裏風の不可解なオブジェがぁぁぁっ!いや囲炉裏ではなくて、灰の代わりに水が張られている。なんなのだこれは??ここは前衛アーチストの作品展示室なのか?理解不能のままとりあえず中へ入って庭園を見ると、ツツジらしき丸い刈り込みの庭なのだけど何故か花付きがパラパラ。これすべてツツジの株ならこの時期もっと咲き揃っているはずなのに、ここは特に開花が遅いのだろうか? 疑問だらけの安楽寺だった・・・。

次は住宅街の中を横断して錦林車庫前バス停へ向かった。このあたりは寺よりも民家のほうに目が眩むほど色鮮やかなツツジが多く、「これが境内に咲いていたらなぁ」と羨ましく思ってしまう。今まで意識してツツジを眺めることなど無かったので、民家のお庭で色や形のバリエーションをしげしげ見せて頂いて勉強になった。
ここからはちょっと大移動で、バスで地下鉄東山駅まで行き地下鉄東西線で小野駅まで南下する。 〈つづく〉


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