箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 悩ましき淡紅葉・第3日目-2

 ●青蓮院

天台宗三門跡のひとつ。伝教大師最澄が比叡山延暦寺内に住坊として開いた青蓮坊がおこり。第三代門主・慈円の時に幼少時の親鸞がここで得度した。天養元年(1144)第十二世・行玄の時に山下に移り青蓮院と改められ、行玄に帰依した鳥羽法皇が皇子を入寺させて、以来門跡寺院となった。江戸中期に一時、後桜町上皇の仮内裏となったことから粟田御所とも呼ばれる。堂宇の多くは明治期以降の再建。
庭園は、銀閣寺庭園を手掛けた相阿弥作の回遊式庭園と、霧島ツツジの名所として知られる小堀遠州作の霧島の庭。日本三不動のひとつ「青不動明王画像」がある。

最近は夜間に二度ほど訪れたのだが、昼は久々の拝観である。親鸞聖人お手植(!)と伝わるクスノキの大木が印象的な門前から薬医門へ進み玄関へ。

※ここから先、堂内拝観の順路が記憶から飛んでしまいました。この順序で正しいかどうか自信がありません…

障壁画浜松図などで飾られた宸殿には歴代天皇碑と歴代門主の位牌が安置されている。幼い日の親鸞聖人得度の場所でもあったそうだ。前庭には右近の橘と左近の桜を配する。白砂ではなく一面の苔庭なのが独特。

昔は門主の居間であったという小御所は、後桜町上皇の時代に御所から移築されたものを復元している。渡り廊下のそばに秀吉の寄進と言われるやたら細長い手水鉢があった。
ここの縁側の下を起点として龍心池が細長く広がっている。縁側からは回遊式庭園の築山と刈り込みのあたりが見渡せた。紅葉はまだ早めかなと予想していたが充分見頃開始で満足。

その先は小さな本堂で、ここでは有名な青不動明王画像を見ることができる。通称「青不動」と言われ大変ありがたいものだそうだが、今まで複製であることを気付かずに何度かお詣りしていたのが情けない。複製でもありがたいことに変わりはないのだが。
また、通常は非公開の本尊・熾盛光(しじょうこう)如来の曼荼羅(掛軸)が、天台宗開宗1200年を記念して公開されていた。この如来を寺院の本尊とするのは珍しいそうである。梵字で表わされた本尊というのもあまり見たことがないかも。

回廊を戻って、華頂殿の座敷に座り相阿弥作庭と伝わる回遊式庭園を観賞した。さっきとは逆に小御所の方向が見渡せる。庭園の中心となる龍心池には石組みで高く滝口が組まれ、跨龍橋と呼ばれる石橋がかけられている。背後はうっそうとした粟田山の山裾で紅葉も美しい。庭に降りて近くで観賞することもできる。ただ、座敷も庭園も人が多く、ゆっくりと優雅な風情を楽しむのは難しい。

庭園内を歩いて行くと、北東の奥はイメージが変わって、霧島ツツジその他樹木が植えられた小堀遠州作と伝わる霧島の庭になる。
その奥はまた別人の作庭と言われ、好文亭と呼ばれる茶室がある。元は後桜町上皇の御学問所であったが放火により平成5年に焼失、平成7年秋に完全復元されたものだそうである。真新しい木の色が新鮮だ。
真新しいと言えば、ほとんどの建物は火災で失われ近世以降に再建されたものなので民家のように見えてしまう部分もあり、庭園の幽深さとそぐわない気がしてしまう。100年ぐらいのちには境内全体が趣深いものになっていることだろう。


▲小御所から見た築山
▲華頂殿から見た小御所と龍心池
▲華頂殿から見た龍心池
▲叢華殿

その先は龍心池奥の山裾の中をぐるっと戻り、本堂裏から宸殿前庭に出る。夜間拝観のライトアップ時には、この前庭に光の曼陀羅が浮かび上がる不思議でおごそかな演出を見ることができる。青蓮院の本尊である熾盛光如来は「光そのもの」なので、それにちなんでおこなわれるそうだ。境内全体もライトアップされ静かでとても幻想的なので、まだ見ていない方にはぜひお勧めしたいと思います。

小腹がすいたので青蓮院拝観を心持ち早めに終わらせて、青蓮院前の喫茶店で甘味を頂きリフレッシュしてから、最終目的地へ向かった。徒歩で10分ほどの無鄰菴。




 ●無鄰菴

明治〜大正の元老・山県有朋の別荘跡で、琵琶湖疏水の水を引き入れた自然美の溢れる池泉回遊式庭園。山県は初め木屋町二条の別荘に無鄰庵と名付けたが、さらに好みの別荘を自ら設計・監督し当時の名造園家・小川治兵衛に作庭させた。完成は明治29年(1896)。
母屋・茶室・洋館があり、洋館は明治36年(1903)山県・伊藤博文・桂太郎・小村寿太郎により無鄰庵会議が行われたことで知られている。山県没後は京都市へ寄贈された。

青蓮院からは特に交通手段はなく、さほど遠くもないので地道に歩いて向かうことにした。途中、旧南禅寺境内の広さを物語る小さな惣門が名残のように住宅街の中にぽつんと立っていた。

敷地をかっちりと囲む塀に開いた小さな入り口から入り、奥へ足を踏み入れるとびっくり。大自然をちょっと切り取って持ってきてみましたよ的な池泉回遊式庭園が別世界のように広がっている。手前から中央は明るい芝生の庭で、敷地の一番奥の「三段の滝」からゆったりと流れ込む小川のせせらぎの音が心地良い。周囲には多くの種類の樹木が豊かに茂り、紅葉もかなり綺麗に色付いていて感激。仏教庭園と違って尖ったところがないというかマッタリして緊張感がないというか、自分としては特に好きなタイプの庭ではなかったのだが、たまにはこんな風景もいいかなと思えてきた。

敷地はあまり広大ではないが、背後に見える東山から小川の流れが続いているかのような、一体感を感じられる造りになっている。旧来の日本庭園の作庭法を無視し、自らこの庭を設計して名作庭師の7代目小川治兵衛に事細かに指示して造らせたという山県有朋は、庭の好みだけでなく人物的にも壮大なスケールの人だったに違いない。

小川の水は、明治23年(1890)に開通した琵琶湖疏水から引き入れている。南禅寺南側地域一帯が宅地化・別荘地化される動きの中で、疎水周辺の水車の権利(水利権)を買い取った実業家・塚本与三次と庭師・7代目小川治兵衛の協力により、疎水の水系を基にした庭園が数多く造られていったのだそうである。
で、その小川治兵衛の池泉庭園構想と山県有朋の新感覚の作庭構想が相まってこの無鄰庵庭園が生まれたというわけだ。ということは、小川治兵衛は山県有朋の影響を色濃く受けたということになるのだろうか。ちょっと意外だったかも。

JR東海ホームページでのインタビューで、11代目小川治兵衛氏は、植治(小川さんちの屋号)では誰も借景庭園は造っていない、とおっしゃっている。樹木を自然の摂理に基づいて植え自然そのものを再現した庭には背景の山が同化されて降りてくる。大空も同化して水に映る。とのこと。(要約)
うひょー!ぶったまげるほど爽快なスケールのでかさではないか。この小さな無鄰庵であちこちにスケールのでかさを感じることができるとは…

お抹茶でも頂きながら長居したいところだったが、それほど時間の余裕もなかったので、庭のあちこちをひととおり回って引き上げることにした。
建物は母屋・茶室・洋館があり、洋館は例の無鄰庵会議が行われたことで知られている。二階には江戸時代初期の狩野派による障壁画が飾られ、無鄰庵会議当時の椅子・テーブルなどの家具が残っている。しかし以前見せて頂いたので今回はパスということで。
帰りは途中で漬物屋に寄ったりしながら地下鉄蹴上駅まで歩き、これで今回の上洛日程はすべて終了。


▲奥に東山が
▲母屋
▲小川のほとり
▲奥の滝のあたりから振り返る

まとめ。この年の紅葉色付きは地域・寺社によってかなりバラつきがあったようです。全体的に見頃ピーク直前の淡い色付きの所が多く、微妙に消化不良感が残ってしまいました。日程と場所の選択が年々難しくなってきているような気がしてなりません。  〈2006年春につづく〉


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