箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 悩ましき淡紅葉・第3日目-1
【第3日目】11月27日 高台寺から青蓮院〜無鄰菴
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最終日、久々に東山方面に行こうと決めました。紅葉シーズンの日曜日ゆえ混雑のドツボにはまらないようコースどりは注意せねばなりません。朝一番で高台寺を攻め、そこからひたすら徒歩で北上することにしました。



 ●高台寺

慶長10年(1605)豊臣秀吉の正室・高台院北政所)が秀吉の菩提を弔うため創建。その後、建仁寺の三江紹益を中興開山として迎え高台寺と号した。徳川家康の援助により堂宇は壮麗を極めたが、度重なる火災でその多くを焼失。創建時の建築は、秀吉と北政所が祀られた霊屋、三江紹益を祀る開山堂、千利休考案の茶室・傘亭時雨亭、観月台など。
小堀遠州作と言われる庭園は紅葉の名所であり、また数々の調度品に施された高台寺蒔絵も有名である。

昼も夜も満員の高台寺だが、さすがに朝一番は静かで鳥の声などが聞こえたりする。門前の「ねねの道」や石塀小路も嘘のようにひとけが無く不思議な感じがした。

灰屋紹益と吉野太夫ゆかりの茶席・遺芳庵のほうをぐるっと回って順路を進み、靴を持って堂内へ上がり方丈へ。
方丈前庭は、夜間拝観のライトアップ時には抽象的で不思議な光のオブジェが置かれてちょっと驚く。寺と関係ないじゃんそのオブジェ。高台寺は一般客に対して開かれた寺を目指しているとどこかで読んだ覚えがあるが、ライトアップ演出もその一環なのだろうか。

方丈縁側からは開山堂臥龍廊霊屋臥龍池偃月池が見渡せる。朝一番は通る人もまばらで遠慮無し好き放題に写真を撮れたが、臥龍池ほとりの紅葉がまだ日陰だったのが惜しい。
方丈横をふと見ると何かの取材クルーがあたふたと機材の撤収中のようだ。うっかりしたのか、お寺の方に「そこへ入ってはダメだと言ったでしょう」的な注意を受けている。何故か今年は再三そういう場面に出くわすなぁ…。だがそのお叱りもすぐ終了したので、気にせずに庭園観賞を続けることにした。

この先は靴を履いて散策へ向かう。起伏のある芝生に大きな石がポンポンと配された庭園は、特徴的な建物が多く明るく変化に富んでいる。特に開山堂と霊屋をつなぐ龍の背のような臥龍廊…そそられる形だ。渡ってみたい衝動にいつも駆られるが乗った途端に踏み抜きそうではある。
方丈と中門のあいだには、来るたびにその前で記念写真を撮りたくなる綺麗なカエデがある。今年は少し淡い色付きで、まだ見頃ピークちょい前のようだった。

開山堂でお参りをして、高台にある霊屋とさらにその上にある傘亭時雨亭にも一応行ってみた。上の方は紅葉撮影ポイントはあまり無いのでのんびりと。霊屋には蒔絵が施された厨子があり秀吉と北政所の木像が安置されている。この高台寺蒔絵は桃山時代を代表する美術工芸だそうだがいまひとつ印象が薄い…。
傘亭・時雨亭は創建当時の建築と言われているが、昭和に入ってから台風で倒壊し再建され最近も修復を終えたばかりなのでやたら外見は真新しい。伏見城の遺構という説もあるらしいがさだかではないようだ。

秀吉の菩提を弔うにあたり、北政所建立の康徳寺や伏見城から仏殿・方丈・茶室などが移築され、また化粧御殿が移築されて北政所の居所となった。現在、高台寺前にある塔頭の圓徳院がそれにあたる。北庭は化粧御殿の前庭を移築したもので、ここも紅葉が美しい。圓徳院は高台寺とセットで拝観券が売られているので一度は拝観してみるのもイイかも。拝観出口がとんでもないところにあってちょっと驚くが。


▲方丈縁側から見た庭園
▲縁側の下から見た庭園
▲中門横の紅葉
▲方丈から見た中門横の紅葉



高台寺を出て、ねねの道を北へ歩く。途中に、新選組から分派した伊東甲子太郎率いる御陵衛士高台寺党)が一時屯所としていたことで知られる塔頭の月真院がある。以前は一般人も泊まれる宿坊でもあったが、もろもろの事情で今は入ることは出来ず、門は閉ざされていた。何かしら会員制の食事会やイベントなどに参加すれば拝観できるらしいので機会があったらぜひ、とは思うのだがなかなか…。
この時間帯になりだいぶ人も増えてきたが、次の長楽寺へ向かう人はほとんどいないようだ。知名度は低くないはずなのに何故みんな寄らないのだろう?

円山公園の手前にある大雲院の紅葉がきれいだったので、ちょっと写真だけ置いておきますね。→


▲月真院の門前


 ●長楽寺

延暦24年(805)桓武天皇の勅命により伝教大師最澄が比叡山延暦寺の別院として創建。当初は天台宗に属していたが室町初期に国阿上人により時宗に改宗された。もとは広大であった寺域は江戸期以降、大谷廟建設などのため大きく削られた。明治期には時宗総本山の七条道場金光寺を合弁。古くから天皇の勅願所であり、建礼門院徳子落飾の寺として知られる。
建礼門院像安徳天皇画像安徳天皇御衣幡などのほか、時宗宗祖・一遍上人像と代々の遊行上人像、京都七福神の一つである布袋尊像などの寺宝がある。

円山公園の一番奥、甘味処・紅葉庵の先の灯籠が並ぶ参道をさらに東の奥まで歩くと長楽寺に着く。狭い急な斜面に小さな堂宇がひっそりと建つ、「山懐に抱かれた」という言葉がふさわしい寺である。

木々に覆われた階段を昇りきると小さな本堂と鐘楼・収蔵庫などがあり、その間に建礼門院供養塔があった。
平清盛の娘である建礼門院徳子は、壇ノ浦の戦いで平家が敗れた際に一族と共に入水したが敵方に救い出され、この長楽寺で出家した…という話はあまりにも有名だろう。その時亡くした幼いわが子・安徳天皇を弔うため形見の直衣を幡(仏前に下げる荘厳具)に仕立てたものがこの寺に残されている。通常は複製が展示されているが春季特別展の時には一般公開されるそうだ。絵画などはともかく、こういう寺宝の複製ってどうよ?と思ってしまうがいかがなものだろうか。

カエデは様々に色付いていたがなんとなく物足りない。光が届きにくいほどうっそうとしているので、ピーク時でも鮮やかな紅葉に埋もれるというわけではないのかもしれない。街なかからさほど遠くないのに山寺のような風情の境内はどことなく物寂しく、拝観者もまばらだった。

受付まで引き返し、庫裏へ上がって庭園を観賞した。銀閣寺庭園を造営した相阿弥がその試作として、東山を取り入れて造ったものだそうだが、それにしてはとても小さく見える。ここは紅葉進行は遅いようでまだ色付き始めたばかりだった。

この時はちょうど秋季特別展「足利氏と遊行上人」が催されていた。京都における時宗(じしゅう)の重要な道場・七条道場金光寺からこの長楽寺に受け継がれた寺宝の展示で、頬がこけた独特の風貌の一遍上人像ほか代々の遊行上人像計7体などを見ることができる。
ところが、どこか甘味処に寄る時間を作りたいが為に今回はパスしてしまった。

時宗の開祖・一遍上人は一つの地に定住せず各地に念仏信仰を広める方法をとっている(遊行)。念仏を書いた小さなお札を配ったり踊念仏を勧めたりと庶民にわかりやすい布教方法で多くの信者を得た。信心の有無を問わず救われる(何でもオッケーってことか)という教えと、参加者がトランス状態にまで達するという踊念仏は、鎌倉から室町期に庶民の熱狂的な支持を得ていたようである。
しかしブームはいずれ去るもの。次第に浄土真宗などに信者を奪われることとなり時宗は大きく衰退していった。


▲ちょっと色が変ですが門前
▲本堂と鐘楼
▲相阿弥作と伝わる庭園

もと来た道を戻って甘味処の紅葉庵へ寄ろうと思い覗いてみるとこの日は何故か休業。観光シーズンの日曜なのに休むのかよ…と落胆しながら円山公園内の紅葉を探して適当に歩いてみた。

公園内のカエデは奥の方ほど野趣あふれる豪快な枝振りで、色は赤からオレンジ。逆光に透かして見るとそこだけ別世界のように美しい。枝垂れ桜のある広場のほうまで下って行くとカエデの背は低く色付きは真っ赤なものが増えてくる。奥のカエデと比べると作り込んだ盆栽のように見えるのが面白い。
相変わらずの賑やかな混雑の中を歩き、知恩院を通り越して次の青蓮院へ向かった。 〈つづく〉


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