箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 悩ましき淡紅葉・第2日目-2

 ●実光院

魚山大原寺下院の本堂・勝林院の僧院として円仁により建立された。大正八年に、同じく子院であった普賢院と理覚院を併合して普賢院跡地にあたる現在地に移転、のちに客殿が建てられた。
客殿には声明研究のため収集した楽器が陳列されている。南側には旧普賢院庭園(契心園)、西側には池泉回遊式の旧理覚院庭園があり、初秋から翌年春まで花を付ける不断桜で知られている。


▲旧理覚院庭園には様々な植物が

▲客殿から見た旧理覚院庭園
▲不断桜と紅葉と客殿
▲庭園の端のほう
▲不断桜

民家のような雰囲気の客殿では十数人ほどの方が座って二つの庭をのんびりと観賞していた。宝泉院はブーム白熱状態だが、実光院はまだまだ静かさが保たれているようだ。

池泉観賞式の旧普賢院庭園(契心園)は築山と滝と池と石組みの作りに落ち着きを感じる。
一方の回遊式の旧理覚院庭園は全く雰囲気が違って、緊張感がないと言っては失礼だが、緩いくらいにのどかさが漂よっていた。理覚院を併合した当時の住職の手による作庭だと聞くとなるほどと思える。借景の山々がくっきりと姿を見せていてとても明るく開放的。
庭へ降りて歩いてみると不断桜が楚々とした小さな花を付けていた。花数は多くないがそれなりに見頃のようだ。滅多にない紅葉と桜の共演を楽しむことができた。

この庭に配されている石は寺領の山から運び込んだもので、茶室「理覚庵」も山から調達した木材で建てられているそうである。有名寺院に比べてかなり地味なイメージのある実光院だが、よく見ればなかなか特徴的なのではないだろうか。

※ところで下の↓画像ですが、ここはどこ???
どこで撮影したのか全然記憶にありません。
契心園だと思っていたのですが違ったようです。
どなたかお教え頂けないでしょうか…。



ここでいったん休憩して早めの昼食。クーポン券が使える「魚山園」に向かってみる。皆さん昼の混雑は心得ているようで11時半前にもかかわらず列ができていたが、さほど待たずに中へ通された。「大原女弁当あじさい膳」を注文すると(これしかクーポン使えないのだ)、京都らしい多種類のおかずが箱形の容器と極小の器に可愛らしく盛られていた。いろいろ食べたい女子にとっては結構嬉しいかもしれない。
食後は、三千院南側の呂川に沿ってしばらく山道を登った先にある来迎院へ。



 ●来迎院

仁寿年間(851〜854)慈覚大師円仁がこの地に堂塔を建て、唐で学んだ声明の修練道場としたのがおこり。その後衰えていたが天仁2年(1109)融通念仏の開祖・聖応大師良忍が来迎院を建立し再興。分裂していた天台声明が統一され大原声明が完成した。来迎院を上院とした魚山大原寺は多数の坊を有し貴族や僧を集めたがのちに多くを焼失。来迎院も罹災し、現本堂は室町後期再建のもの。
本尊は藤原時代の薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来。境内に良忍上人御廟がある。

三千院から上へ向かう人はかなり少なく、うっそうとしたカエデがトンネルを作る山道を登っているとどんどん静けさに包まれていく。あたりに響くのは鳥の声だけになってきた。

途中の小さな塔頭を通り越し来迎院山門をくぐるとそこは妙に真新しい会館風建物と受付。ちょっと拍子抜けするが、参拝入り口から高台へ上がると一変、空気が張り詰めるようなひっそりとした古刹のおもむきが漂う境内があった。寂れているかのように建つ鐘楼と本堂からは、かつて魚山大原寺の上院として声明の中心地であった頃の隆盛を極めた様子が全然想像できない。とても不思議な気がする。

鐘楼のあたりは淡い色付きの紅葉が綺麗だが木立の影になってしまう。本堂側も影が多くて写真は撮りにくい。本堂手前の刈り込みは何だろう、ツツジかサツキだったらいいのだけど(多分違うはず)。
本堂裏側ヘ回ると、奥には良忍上人御廟の三重石塔があった。

良忍上人という人はよく知らなかったが、法華経を読み念仏を唱える日々…ってそれは日蓮宗ではないの?と思ったら、法華経とは天台宗・日蓮宗の所依の経典であるらしい。仏教は難しい…
また獅子が良忍上人の唱える声明に陶酔し堂内を駆けめぐって岩になったり(獅子飛石)、滝に向かって唱えたところ滝の音が融和して消えてしまった(音無の滝)など、とんでもない逸話を残す美声の持ち主であったようだ。

境内を一周したところで寺を出て大原散策はおしまい。土産物屋をひやかしながら山を下りバス停へ戻った。


次は帰りのバス路線沿いにある蓮華寺。しかし最寄りの上橋で下車したのは自分だけ。せっかく通り道なのだからみんなも来ればいいのに〜(´・ω・`)  〈つづく〉


▲参道入り口
▲本堂横(ちょっと色が変)
▲鐘楼(ちょっと暗い)

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