箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 悩ましき淡紅葉・第2日目-1
【第2日目】11月26日 大原〜蓮華寺〜曼殊院〜神光院
 国際会館駅
  ↓(京都バス)
 大原バス停
  ↓(徒歩)
 三千院
  ↓(徒歩)
 宝泉院  
  ↓(徒歩)
 実光院
 ↓
「魚山園」
 ↓(徒歩)
来迎院
 ↓(徒歩)
大原バス停
 ↓(京都バス)
上橋バス停
 ↓
蓮華寺
 ↓(タクシー)
曼殊院
 ↓(徒歩) 
鷺森神社
 ↓(徒歩)
白川通り
 ↓(タクシー)
神光院
 ↓(市バス)
ホテル
 ↓
「陣の花」
 ↓
ホテル


2日目は大原から始めます。狭い大原、かなり混雑します。まだ人の少ない時間帯のうちに知名度の高い順に回り、素早く下山するのがよいでしょう(^^;) ということで朝イチはまず三千院へ。



 ●三千院

天台宗五箇室門跡のひとつ。延暦7年(788)最澄が比叡山延暦寺を開いた時に併せて山内に開創した円融房が起源とされる。のちに山麓に円融房の里坊がおかれ堀河天皇の皇子が入寺して以来梶井門跡と称された。数度の移転を経て明治4年(1871)、すでに大原におかれていた梶井門跡の政所へ移り、ここを本坊として三千院と改称された。のちに往生極楽院が本堂となる。
聚碧園や、往生極楽院が望める有清園は紅葉と季節の花が美しい。

朝早く出発したいのはやまやまだが、ホテルで朝食バイキングを食べないと気が済まないタチなので(笑)国際会館駅の京都バス乗り場に着いた時には長めの列ができていた。
門前に着いたのは開門時刻(8時半)を少し過ぎた頃。大原には本当に早起きしてくる拝観者が多い。すでに下山する人まで居る。ホテルなどのオプショナルプランで早朝特別拝観があると聞いたことがあるがそれだろうか?

右側が三千院の石垣、左側に土産物屋や茶店が並ぶ道が桜の馬場。この景色が結構好きだ。石垣途中に開いた御殿門への短い急な石段を登って三千院拝観受付へ向かう。

まず客殿から刈り込みの美しい池泉鑑賞式庭園「聚碧園」を見る。江戸初期の茶人・金森宗和の作庭だそうで、金閣寺の茶室「夕佳亭」も手掛けた人らしい。ここには茶室は造らなかったのか…。有清園も金森宗和作であるとか修築したとかいう説があるが確かな資料は無いらしい。
客殿には近代日本画の巨匠である下村観山竹内栖鳳などの襖絵があるが、紅葉を追いかける旅ゆえ、そちらへはあまり目が行かなかったりして。

次に、毎年5月30日に声明が聞ける法儀「御懺法講(おせんぼうこう)」が行われる宸殿へ入ると、杉木立と苔と紅葉が清々しい有清園瑠璃光庭)の奥に本堂・往生極楽院阿弥陀堂が見渡せる。端の座敷に一番のビューポイントがあり、とにかく撮影する人々で半分殺気立っていた。それこそ早朝特別拝観で独り占めできたらさぞ素晴らしいだろうと想像するのみである。
紅葉は時季が若干早かったのか、もしくはここ特有の色なのか、真っ赤ではなく淡いオレンジ系で慎ましやかだった。

靴を履いて庭へ降り、往生極楽院へ。ここも凄い混雑。

往生極楽院は寺伝とは異なり、高松中納言実衡の妻・真如房尼が平安末期に建立したものらしい。もともと円融房とは別物だったものが明治期に三千院に取り込まれたことになる。何故だろう、寂しそうだったのだろうか?
内部は有名な船底天井で、本尊の阿弥陀三尊坐像が窮屈そうに祀られている。前回は素通りしたので今回は覗いてみた。

堂内では僧侶の方が解説をして下さっていた。
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の三尊はあの世からお迎え(来迎)に来る姿なのだそうである。両脇侍はお尻を浮かして筋トレ中のオバチャンのような倭座り(やまとずわり)をしている。
鶴瓶似の僧侶の方は、当初は極彩色の花柄が描かれていたという天井や柱をライトで照らして見せて下さった。柱に残っている花柄が一部復元してあったが、それだけでも華やか。全体がこれだったらかなり凄そうだ。
この完全復元版や新たに発見された壁画が、2006年9月完成予定の収蔵庫で公開されるそうだ。つきましては勧進を行いたいのですが…と巧みな話術で切り出されて思わず笑ってしまった。

往生極楽院から奥の高台には紫陽花苑金色不動堂観音堂・石庭などがあるが、紅葉もさほど目立たずちょっと地味かも。一回りして元の桜の馬場へ戻った。


▲聚碧園
▲有清園の暗いところ
▲宸殿横
▲往生極楽院横から宸殿方向



●今更ながら気になる勝林院

桜の馬場を奥へ進むと律川(りつせん)にかかる橋があり、その奥の突き当たりが勝林院の堂々とした本堂、左側に並ぶのが宝泉院実光院である。この律川と手前の呂川(ろせん)は声明の節回し「呂」と「律」が語源で、「呂律が回らない」という言葉はここから来ている…という話はかなり有名かも。

ここ大原は「魚山声明」の聖地である。日本音楽の源である声明は、最澄の直弟子・慈覚大師円仁により唐からもたらされ聖応大師良忍によってこの地で集大成された。その声明の根本道場の一つが勝林院である(もうひとつはのちほど出てくる来迎院)。勝林院を下院、来迎院を上院として、多くの坊を有した魚山大原寺(ぎょざんだいげんじ)が往時は大変栄えていたらしい。
罹災などで伽藍は激減してしまったが、それにしても現在の勝林院のもの寂しさはどうしたものだろう。住職はおらず、塔頭である宝泉院と実光院の住職が交代で兼務なさっているという。つまり無人駅のような状態か…。今、何故か気になる勝林院。

堂内にはボタンを押すと声明が流れてくる装置があり自由に聴くことができるらしい。時間と気持ちに余裕のある時に行ってみようと思いつつまだ試したことがない。特に紅葉期は紅葉を追いかけてついついあたふたしてしまうので…。
今回も勝林院は遠巻きに眺めるだけにとどめ、宝泉院へ向かった。


▲律川にかかる橋。奥が勝林院
(余計なもん写ってますが)
▲勝林院本堂


 ●宝泉院

実光院と同様に、魚山声明の根本道場である勝林院の塔頭。寿永2年(1183)勝林院住職の住坊として建立された。
竹・桜・紅葉が美しい額縁庭園「盤桓園」で知られる書院は江戸初期(室町後期?)の再建で、廊下には伏見城遺構の血天井がある。また、声明の音律を調べるサヌカイトと呼ばれる石盤(楽器)が展示されている。

 

障子を取り払った書院の庭は額縁庭園として知られている。鴨居と敷居と柱に切り取られた光景を額に入った絵に見立てて、座敷の奥から観賞するのである。南側には樹齢500年以上のごっつい五葉松があり、西側は大原の里を借景にした竹と桜やカエデのバランスが美しい庭になっている。最近では夜間のライトアップでも有名のようだ。

その額縁庭園がある書院に入ると、溢れんばかりの人がひしめき合って正座していた。なんじゃこりゃぁ。そうか、ここまで知名度がアップしたか…。庭が見えないわけではないが、額縁の絵の下半分が人の頭のシルエットでボコボコだ。

この混雑を見かねたのだろうか、住職(?)が「寺を拝観すること・庭を観賞すること」の意味や心得を説いて下さっていた。それも仕方ないことと思うけれど、観光客の心理としては「綺麗なお庭を見て感動したい、写真も撮りたい」という欲は自然なものなのではないかなぁ。それも人間の業なのかなぁ…。ちょっとしたジレンマを感じてしまう。

その後、しばらく待ってやっと抹茶とお菓子を頂いたが、西側のカエデも色付きが淡すぎるし(やはり早かったのか?)どうにもこうにも落ち着かないので早々に退散することにした。ものすごい早朝、もしくはシーズンをはずして新緑の頃などに訪れてみれば、ここの光景の本当の風情が感じられるのかもしれない。

囲炉裏のある部屋からもこじんまりとした庭園が眺められた。書院の賑わいから避難してきた人が数人、くつろいだり記念撮影をしたりしているのが微笑ましかった。
次は隣の実光院へ。〈つづく〉


▲鶴亀庭園。部屋の中から
見るのが正しいらしい
▲額縁庭園
▲五葉松

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