箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 悩ましき淡紅葉・第1日目-1
【第1日目】11月25日 嵯峨野少々〜鹿王院
 京都駅
  ↓(JR嵯峨野線)
 嵯峨嵐山駅
  ↓(タクシー)
 常寂光寺
  ↓(徒歩)
 厭離庵  
  ↓(徒歩)
 宝筺院 
 ↓(市バス)
京福嵐山駅前
 嵐山天竜寺前バス停
 ↓
嵐山駅
 ↓(京福電鉄嵐山本線)
鹿王院駅
 ↓(徒歩)
鹿王院
 ↓(徒歩)
鹿王院駅
 ↓(京福電鉄嵐山本線)
四条大宮駅
 ↓(市バス) 
四条駅
 ↓(地下鉄)
京都駅
 ↓
ホテル
 ↓(地下鉄)
烏丸御池駅
 ↓(徒歩)
ラ・パパイヤベール
 ↓
烏丸御池駅
 ↓
ホテル


今回は読みが非常に難しかったです…。
10月下旬の時点では紅葉の出足は遅そうな雰囲気でした。場所によっては高温と雨不足ですでに木の痛みが目立っている所もあるとの情報も。とりあえず遅めの日程に設定しておいて良かった…とか言ってるうちに11月上旬、冷え込みキターーーー! 20日前後に主力見どころの最盛期が来てしまいそうな寒さで、毎年の事ながらまた一喜一憂させられました。
そんなこんなで、色付き進行にバラつきがありそうな予感と慢性的空腹感を抱きつつ11月25日、車中の人となったわけです。



 ●常寂光寺

日蓮宗大本山本圀寺日禎上人が秀吉の方広寺大仏殿供養の際に出仕を拒んでこの地に隠棲し、慶長元年(1596年)庵を寺に改めた。常寂光土(浄土)の趣があるというのが寺名の由来。隠棲地を提供したのは豪商・角倉家であり(のちに日禎上人は角倉了以の大堰川改修事業を支援している)、小早川秀秋らも堂宇の建立を援助した。仁王門は本圀寺から、本堂は伏見桃山城から移築されたもの。
境内に藤原定家の百人一首編纂の地・時雨亭があったとされる説がある。

京都駅から勝手知ったる嵯峨野線に乗り換えて嵯峨嵐山駅で下車、時間節約のためこっそりタクシーに乗ってしまう。奥へ進むにつれ混んでくるのは想定範囲内なので「行けるとこまで行って下さい」とお願いしておいた。
それにしても門前が近くなってくると平日とは言えなかなかの人出だ。古来から埋葬の地であった浄土への入り口、嵯峨野… 常寂光寺創建の頃には風光明媚な地として多少は開けていただろうけれど、現代のこの喧噪はどうよ?(´∀`;) 古の人々に見せてあげたらさぞかしぶったまげることだろう。

黒塗りのゴツ可愛い山門からその先の仁王門への参道が柔らかい色合いに紅葉していて差し込む陽光が美しい。撮影する人でごったがえす中をくぐり抜け、白壁と茅葺き屋根の仁王門へ向かった。中の仁王像は運慶作らしい!が見てないので何とも言えず…。

ここからの急な石段と付近の斜面の紅葉は橙色メインの中に程良く赤と黄が混ざり、ちょうど見頃開始だった。ただ時間帯のせいか(?)日陰も多く、肉眼でいいかんじに見える所も撮影には苦戦してしまった。デジカメのほうが綺麗に撮れるのだろうか… この光と影の競演が今回の旅の間ずっとつきまとい私を悩ませてくれることになろうとは…

石段上から見下ろした光景を満喫してから、元和6年(1620)京都の有力町衆により寄進されたという多宝塔や平べったい本堂の周辺を歩いてみた。「多宝塔の秀麗さは石山寺の多宝塔と比肩される」という解説がある一方で「安定感を欠く」と書かれているサイトもある。実際どっちなのか?? どちらにしても塔と紅葉の組み合わせはどこで見ても美しいものだ。
境内上部ではすでに色の抜けた木も多いようだったが、本堂前の鐘楼近辺が際だって鮮やかな発色で、柿の実も彩りを加えている。他にポイントが少ないので皆すごい勢いで撮影しまくっていた。
それにしてもここの斜面の紅葉は撮影ポイントが難しい…。やっぱり仁王門の石段付近が一番絵になるかも。

次に、通常は拝観不可ながら紅葉期に不定期に公開される某小寺。近頃は随分有名になったようなので「某」と付ける必要もないか。で、寺名は厭離庵=えんりあん。


▲仁王門前
▲鐘楼と紅葉と柿の実
▲わかりにくいけど多宝塔


 ●厭離庵

荒廃していた藤原定家小倉山荘跡(もしくは宇都宮頼綱中院山荘跡)が、定家の子孫にあたる冷泉家により安永元年(1772)修復され寺に改められたもの。開山は霊源禅師、寺名は霊元法皇から授かった。のちに再度荒廃したが明治43年、山岡鉄舟の娘・素心尼が入山し以降尼寺となる。
境内に藤原定家の百人一首編纂の地・時雨亭があったとされる説がある。

今回初拝観なのでバリバリ行く気でいたのだが、前日までの情報では見頃直前?まだまだ発色が不完全らしいということだった。そう言われると迷ってしまう。掲示板仲間の方にその旨メールすると、行きたいなら迷わず行け!と激励が帰ってきたのでダメ元で行ってみることにした。
今回は運良く特別公開中だが、紅葉期とは言え毎日開門しているとは限らないので事前の確認が必要である。

やたら難しい寺名は、この世の汚れを厭い浄土を求めるという意味の仏教用語「欣求浄土・厭離穢土」(ごんぐじょうど・えんりえど)から来ているそうだ。醜い人間を厭い高貴な馬の国を愛したガリバーのような心境か…(なんだそりゃ)

厭離庵は住宅街のあいだの小さな石碑を目印に、細い路地を奥へ進んだところにある。わかりにくいにもかかわらず噂を聞いて来る人達が意外と多い。最近はテレビなどで情報が流されるので、隠れた穴場と言われていた寺社がどこも着実に人が増えているようだ(逆に人が減って過疎化しているところは無いものだろうか…)。

この付近のどこかに藤原定家小倉山荘があり、そのご近所に定家の長男・為家の舅にあたる宇都宮頼綱中院山荘があったとされる。
中院山荘の障子に使う色紙を頼綱に依頼された定家は、時雨亭において名歌を厳選して色紙を書いた。その時の歌がのちの小倉百人一首のもとなのだそうである。百人一首のために選んだわけではなかったのか…
小倉山荘・時雨亭・中院山荘ともに跡地がどこかという点では諸説あるようで、「百人一首編纂の地・時雨亭跡」と名乗りを上げている寺社は他に二尊院と常寂光寺がある。このあたりのどこかということでファジーなかんじにとらえておくのもまた夢があって良いのではないかと思った。


▲暗いけど庭園の灯籠
▲庭園入り口
女性ばかりの受付(尼寺だから??)を過ぎて、広いとは言えないが木々で視界のきかない境内へ進む。通路をあちこち歩いていると、タクシードライバー氏の「庭には万両・千両の実の他に百両や十両もあるんですよ」というガイドの声が聞こえてきた。
茅葺きの茶室・時雨亭や小さな本堂はいずれも明治の再建。紅葉で有名な庭園は小さな門の中にあり、うっそうとしたカエデに包まれていた(若干ワイルド)。しかし意外と暗赤色の葉が多い。傷んでいるようにも見えてしまうが、庭園の外も淡い色付きだし、まだ最盛期前で鮮やかさが足りないだけなのだろう。日が少し陰ってきているのでなおさら暗く見栄えが良くないのかも…。残念すぎるので、ぜひ真っ赤な散り紅葉絶好調の時に再度来てみたいと思った。でももしかすると絶好機を逃さずに訪れるのは難しいのだろうか。通好みの小庵としてはそれでいいのかもしれないと思ったりもする。

次はここから徒歩すぐの宝筺院へ。 〈つづく〉


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