箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 遅咲き百花繚乱・第1日目-2

 ●二条城

慶長8年(1603)徳川家康により京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊のため築かれ、3代将軍家光により伏見城の遺構を移すなどして拡張され現在の規模に整えられた。家康と豊臣秀頼の会見の場となるなど江戸幕府の始まりを象徴したが、約250年後には同じ二の丸御殿で15代慶喜が大政奉還を発表し、徳川の世は終わりを告げる。明治期に一時離宮となったがのちに京都市に下賜された。桃山時代を代表する建築の二の丸御殿、二の丸庭園、彫刻や障壁画、宮御殿の貴重な遺構である本丸御殿など多くの見どころがある。

日が落ちる前に先に桜園の里桜をちょっと見ておくことにした。まだ蕾や5分咲き程度のものも多いが、桜園北東角あたりの開花の早い数本がすでに満開になっていた。

里桜系は大きな実のような丸い花付きが可愛らしい。特にこの二条城には、有名な桜守の佐野藤右衛門氏(先代?)が栽培した希少種など驚くほど多くの種類が集められていて見応えがある。普通のガイドブックでは、その由来どころか桜園の存在についてさえほとんど解説されていないのがもったいない。ソメイヨシノを見に京都を訪れるかたは多いけれど、ソメが散る頃から思いのほか多くの寺社で各種の桜が続々と見頃になることはあまり知られていないかも。内緒にしておいて今後もゆったりと楽しもう。なんて(^^;)


折角なので二の丸御殿を久々に拝観することにした。すると校内放送のようなアナウンスが始まり、二の丸御殿を拝観するかたは早く入って下さいね〜、閉門はもうすぐですよ〜、のような内容が丁寧に繰り返された。「わかってるんだけどなぁ」と思いながらも早足で進む。

豪華絢爛で頭でっかちな唐門をくぐるとすぐ横にある立派な桜が御所御車返し(写真一番上)。少し見とれてから御殿へ上がった。すると玄関にはパンフレットと一緒に桜品種一覧のチラシが置かれていた。写真付きなのでとても参考になる。

二の丸御殿は6棟がカクカクと雁行(がんこう)形に配された典型的な書院造建築だそうである。このカクカク型が典型的なのだろうか?? 大政奉還が発表された一の間をはじめ、それぞれの間には解説板と将軍や大名の人形があってわかりやすい。狩野派の障壁画や、厚さ35cmの桧の一枚板を両側から透かし彫りにしたすっごい欄間彫刻が印象的だった。
御殿の横に広がる二の丸庭園は大小の石組みと松が力強いおもむきで二条城にふさわしい豪壮さがある。後水尾天皇行幸に際して小堀遠州が大改造を行ったそうだが、最初の作庭師の立場は?(^^;)

一方、次の本丸庭園と御殿はのんびりムードが漂っていた。築城時の本丸御殿が天明の大火で焼失したのち、明治になってから御所の旧桂宮御殿を移築したものだそうだ。天守閣も落雷で焼失したまま14代将軍の家茂が上洛するまで城は荒廃していたらしい。留守居番が居たはずなのに、なんとももったいない話だ。

西の端の休憩所に出て清流園を回って帰ろうとしたら、この日は観桜茶会のためなんと北側は完全に通行止めになっていた。今回は清流園を初めて見る予定だったのにそんな殺生な…と思いながら紅枝垂れの並木沿いにすごすごと引き上げた。ここの枝垂れは柳のように高さのある木からしなやかに長く垂れ下がる枝が特徴的だが、そのぶん花付きが地味に見えてしまうのは気のせいだろうか。

二条城は5時の閉門少し前に出たが、まだ帰るにはもったいないほど充分明るいので近くの神泉苑に寄ることにした。


▲桜園の里桜(雨宿り?)と桃山門
▲二の丸御殿と御所御車返し
▲二の丸庭園と御所御車返し


 ●神泉苑

平安遷都から間もなく、天皇の遊興地(禁苑)として造営された。南北400m、東西200mほどの広大な苑内で舟遊びなどが行われ、のちに雨乞いや疾病退散祈願の御霊会の場としても使われたが、鎌倉時代以降は大きく荒廃し二条城築城の際に縮小された。現在は、御池通の名の由来となった小さな御池善女竜王社などが残り、東寺所管の寺院となっている。
5月1日〜 4日には壬生狂言から分かれたという大念仏狂言が上演される

神泉苑は今は約8分の1程度に規模が縮小されてしまったこともあって地味な存在だが、平安京最古の史跡として由緒正しいのである。
と思いながら二条城側の門から入ってみると、いきなり料理屋さんがあっていい香りが漂っている?? 料理屋さんの庭に間違って入ってしまったかと思うような狭さだが、池には龍の首を付けた派手な船が浮かび、南側へ回るとやけに目立つ真っ赤な橋と祠などがあった。

平安時代、ここでは真言宗の僧によって雨乞いの修法が行われていたそうだ。東寺を与えられたばかりの空海と西寺の守敏との「天長の祈雨」といわれる雨乞い合戦が有名である。善女竜王の力を得て雨を降らせることに成功した空海が勝ち、以後東寺が栄え西寺は衰退したのだという。そんな理由で(それだけではないにしても)西寺は歴史から消えてしまったのかと思うとなんだか切ない。神泉苑そのものも、もうちょっと平安時代の禁苑の面影をとどめる形で保存できなかったものだろうかと思うとさらに切ない。とはいえ、応仁の乱その他の戦乱は避けられたはずもないし、そもそもつい最近までは文化財や史跡の保護などという概念が無かったわけだし。ますます切ない。
東京国立博物館などで催された特別展「弘法大師入唐1200年記念 空海と高野山」では、金剛峰寺所蔵の善女竜王像が展示されていてびっくり。(誰か姿を見たのだろうか?)

二条城前駅からホテルへ戻り、烏丸御池駅すぐ近くのカウンター割烹で早めの夕食にした。



 えいたろう屋

骨董品などが置かれ町屋の雰囲気を残した店内のどっしりしたカウンターで、食材の持ち味を生かした割烹料理が頂ける。割烹といってもお手頃な価格のおばんざいもあるので気軽に楽しめる。
中京区御池通室町東入北側 TEL:075-221-4604

具だくさんの季節の茶碗蒸しや干しエビあんかけ茄子など、お味は大変美味でした。ただし一皿の量が結構多い。料理3品とお茶漬けを平らげたら腹がはち切れそうになった。女子としてはもう少し少量を他種類食べたいと思ってしまうのですが。いろいろ楽しめるコースなどあると良いかもしれません。あったのかな?(^^;)


早めの夕食を終えて、祇園の甘味処「都路里」へ行った。行列が出来ることで有名だが夕食時にはすいているので難なく入れる。すでに満腹だったにもかかわらず茶々パフェを強引に食べて、笑ってしまうほど腹がふくれたので急いでホテルへ帰って胃薬飲んで寝ました。あ!その前に、せっかくなので地図で発見した崇徳天皇御廟へ寄ってみたのだったっけ。



 ●崇徳天皇御廟

何故かあの「都をどり」で知られる祇園甲部歌舞練場の裏の壁が一部へこんでいて、人知れずひっそりと小さな祠(?)と碑が立っていた。保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳天皇の遺髪が祀られているそうである。人々と朝廷はこの場所や讃岐で霊を慰めようとしたが崇徳上皇の怨霊はすさまじく、明治天皇が白峰神社をおこして上皇の霊を京へ帰すまで何かにつけおびえ続けたらしい。

ちなみに、現在の白峰神宮はサッカーの神様の地として有名だが、それは境内の地主神社で蹴鞠大明神が合わせ祀られているためであって、崇徳上皇とサッカーは関係ないようだ(^^;)

〈2日目につづく〉


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