箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 極寒の春雨に煙る桜・第2日目-4

 ●相国寺

明徳3年(1392)三代将軍・足利義満夢窓疎石を開山として完成。(春屋妙葩が創建に尽力、亡き師の夢窓疎石を開山として自分は二世となった。)応仁の乱などで荒廃、豊臣秀頼・徳川家康らの援助を受け再興したが、天明の大火で法堂・浴室以外の大半を消失した。江戸後期に入り復興し堂宇が整えられ、現在は金閣寺・銀閣寺ほか多くの末寺を擁する。
日本最古の法堂は秀頼の建立、天井の蟠龍図狩野光信筆。寺宝は承天閣美術館で常時展示されている。

妙顕寺から歩いて烏丸通を渡り、塔頭・瑞春院のある参道から入る。瑞春院は水上勉の小説「雁の寺」の舞台となったことで知られているが、拝観は2名以上からなので門だけ見て素通り。ううむ、入りたい…

相国寺は近年、伽藍の修復と浴室復元が終了し特別公開時に拝観できることになったので、花見と言うよりも浴室目当て(!?)で訪れてみた。 境内は松が多くゆったりと広いが、これでも往時の広大さには比べものにならないらしい。足利義満は自宅(室町殿)の隣に念願の大寺院を建立するにあたり公家を強引に立ち退かせ、自らもっこを担いで土を運んだという。しかもすでに決まっていた京都五山になんとかして相国寺を入れたいと思案した。五山からひとつはずすか、相国寺を準五山とするか、いっそのこと六山にするか?・・・オイオイ(^^;)
しかして、僧に「南禅寺を『五山の上』とする」という知恵を授かると義満は喜び、さっそく相国寺を五山の第二位に列したという。なんというか、ある意味微笑ましいばかりの熱の入れようだったわけだ。

「境内に桜、無いじゃん」と思いきや、法堂近辺で地味な花をつけている背の高い木が山桜(写真一番上)なのだそうだ。これがいにしえの人々が愛でていたという山桜。ソメイヨシノのように花付きが派手でなくいかにも日本人好みらしい。

まず法堂に入ると、数名づつ拝観者を集めて解説員のかたが説明をして下さった。日本最古の法堂と聞いて背中がぞくぞくする感覚。拝観者は少ないのでなおさら空気にも緊張感がみなぎる。これも天井の鳴き龍の効果? 巨大な龍の下で手を叩かせて頂いたがうまく鳴らない。全く何をやっても不器用ですから、自分は。


▲方丈裏庭

法堂裏には白砂まぶしい広い前庭を持つ方丈がある。縁側の先にはまるで俵屋宗達の画のようなインパクトある象の杉戸絵が見えた。原在中筆とのことだがやけに新しいので複製、なのか…?
方丈裏庭園
は大胆に谷が掘られ深山幽谷が表現されている。このように深さと険しさを感じさせる庭園は珍しく、見ていると底冷えがしてくる。庭のせいだけでなく、この日はありったけの服を着込んでも耐え難いほどの寒さと降り止まない雨で冷え切っていたのだった。(涙)

最後に浴室! 宣明と名付けられたこじんまりした建物がそれである。私が近づくと、閉めてあった木戸を開けて係のかた曰く「なんだ、まだ居たのか」 …ってそりゃないヨ拝観時間内なのに。
さて禅寺では生活のすべてが修行の場であり、いわんや入浴をや。ここ相国寺の浴室は江戸期に改装され入浴方法も変化していたのを、近年創建当時の形に復元したものだそうである。蒸気浴と掛け湯で心と体の汚れを落とし穢れを清める、というみそぎの儀式のような入浴… さぞ厳かなものだったのだろう。内部を覗かせて頂くと「ぽっちゃん式トイレ」の裏に台所がくっついたような形で、床と床下は傾斜と溝で排水のための工夫がなされていた。

ここから今出川へ戻るのもつまらないので鞍馬口駅を目指すことにする。時間があれば浴室近くの塔頭・大光明寺も拝観したかったのだが諦めて、上御霊神社へ寄って帰ることにした。大光明寺は全く拝観業務はなさっておらず自由に参拝できるらしいが、門が閉まっていて入るにはかなり勇気がいりそうだ。

▲宣明(浴室)

トイレのような風呂…


 ●上御霊神社

大和国で祀っていた二つの霊を、平安遷都にあたって桓武天皇がこの地に移したのが起こりと言われる。崇道天皇(早良親王)菅原道真らの、いわゆる八所御霊を祭神とする。八所御霊には諸説あるが、いずれも政争に巻き込まれ無念の死を遂げた8人を祀っている。
応仁元年(1467)畠山政長と義就の戦いが起き、これが応仁の乱の発端になった。鳥居横に応仁の乱勃発地の碑が建っている。本殿は御所の賢所を賜って造営され、昭和期に復元されたものである。

御霊」とは怨霊が鎮められて神になったもの。
桓武天皇は、冤罪に抗議して壮絶な死を遂げた弟・早良親王の祟りを大変恐れ、崇道天皇という「おくり名」を与えてこの神社に祀ったという。その他、無念の失脚を遂げた人物が次々に御霊に加え祀られた。そのすべてが天皇自身の策略でなかったとしても、政権争いで身内を追い落とすような仕打ちをしておいて後からビビって祀っているわけである。かつては天皇といえども出世欲、物欲に取り憑かれた実に人間くさい部分をさらけ出す存在だったのだ、と思うと変に感慨深いものがある。

昔はうっそうとした御霊の森だったそうだが、今は小さな境内の中だけが別世界のように厳かな雰囲気を残している。こんな所で合戦が起きたとはなんと罰当たりなことだろう。当時の武士は御霊など眼中に無かったのだろうか?それとも神社自体が衰退していたのか? 「もうちっと勉強してからHP作れよ」というご意見、ごもっともです…
しかし実際、その罰当たりな戦は10年以上にも渡って続き京の都を焼き尽くしたわけだ。なんと強烈な祟り…やはりこれも怨霊パワーなのだろうか。
応仁の乱勃発地の碑は道路に面したこじんまりとしたもので、立ち止まって見るのが照れくさいほどごく普通に建っていた。

上御霊神社から少し歩くと鞍馬口駅。いったんホテルに帰ってから夜のオフ会へ向かうことにした。なにしろ朝からの悪天候で革靴も自分の姿もボロボロ状態なのだ。やむなくホテルで靴の外側をざぶざぶと水洗いし(南無阿弥陀仏)自分の顔と頭もできる限り復活させて待ち合わせ場所へ急いだ。しかし遅刻だ… ご一緒して頂く北斗さんをお待たせしてしまった。大変申し訳ありませんでした。


▲賢所御殿を復元した本殿
▲応仁の乱勃発地の碑



●苦沙彌様僧坊のオフ会

今回、なんと真如堂塔頭の吉祥院さんで催されるオフ会に訳あって唐突に参加させて頂くことになったのである。お寺でオフ会。冗談のような本当の話。しかし新参者の身なのでちょっと照れくさい。
岡崎神社横から夜の黒谷さん墓地(スリリング!)を通り抜けて真如堂山門から境内に入り、塔頭の吉祥院さんへ向かうと道端にインパクトある看板が…

▲夜の真如堂山門前

会の詳しい様子にはここでは触れないでおくが(何故だ?)、副住職の苦沙彌様ご夫妻や京都好きお寺好きの皆様に大変お世話になり、貴重な時間を過ごさせて頂くことができた。苦沙彌様手作りの湯葉など抜群においしい手料理に大感激した夜でありました。 皆様ありがとうございました。

(3日目につづく)
▲謎の看板

真如堂三重塔下の
ライトアップ→

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