箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 冷夏にも秋の暑さにも負けず・第4日目-2

 ●南禅寺

もとは亀山天皇の離宮。東福寺三世の無関普門(大明国師)に帰依した亀山法皇が開基となり、開山を大明国師として正応4年(1291)寺に改め禅林禅寺とした。のちに第二世の南院国師が仏殿ほか伽藍を完成し南禅寺とした。五山之上に列せられ傑出した禅僧により五山文学の中心となったが、応仁の乱などで焼失、衰退。桃山時代以降に伽藍が再建され再び栄えた。方丈襖絵は狩野元信永徳探幽の筆、方丈前庭小堀遠州作。

今まで知らなかったが、三門は大阪夏の陣の戦没者慰霊のために寄進されたものだそうだ。仏殿との間の紅葉の色あせ・色付きの悪さが気になった。ここが最高の色付きの時に来られたためしがないのが悲しい。
南禅寺は地下鉄の便が良いので頻繁に訪れる機会があるが、方丈はかれこれ15〜6年拝観していなかったので久々に入ってみることにした。

豊臣秀吉が寄進した御所の清涼殿を移築したという大方丈は、狩野派襖絵や「虎の子渡し」と呼ばれる庭園で有名。庭園は小堀遠州作と言われる借景式庭園だが、方丈内部の座敷から鑑賞できないので、幅広いゆったりとした余白と樹木や石との調和がいまひとつ実感できないような気がしてしまう。ぜひ座敷奥から額縁庭園的に見てみたいものだ。今のままでは通り過ぎる人ばかりが多く、ワサワサした感じが否めない。

方丈から見えるカエデは少ないが、回廊でつながった突き当たりにある茶室・不識庵近辺の紅葉が目立っていた。この茶室は開基・亀山法皇の650年ご遠諱を記念して寄進されたものだとか。奇しくも今年(2004年)は亀山法皇700年ご遠諱にあたるのだ! 記念特別展として「南禅寺展」が東京国立博物館その他で開催されていたがうっかりして見逃してしまった。南禅寺のほうでも亀様イベントがあるようだ。

次は今回のツアー最後の拝観地、塔頭の天授庵へ。


▲方丈庭園の左半分

▲同じく庭園右半分


 ●天授庵

南禅寺第十五世の虎関師練が暦応3年(1340)光厳上皇の勅許を得て、開山第一世の無関普門(大明国師)を祀る開山塔を建立したのが開創。応仁の乱などにより焼失、荒廃したが慶長7年(1602)細川幽斎の寄進で現在の諸塔が再建され復興し細川家菩提所となった。枯山水の東庭、南北朝の趣を持つ南庭があり、本堂には細川幽斎夫妻像と長谷川等伯筆の襖絵などがある。

堂内は非公開なので襖絵などは拝観できないが、書院玄関を覗くと座敷を突き抜けた向こう側の南庭の紅葉が鮮やかに見える。玄関には亀山法皇イベントポスターが貼られていた。
本堂前の東庭は菱形模様の石畳と岩や刈り込みが特徴的な枯山水で、沢山のカエデに彩られて華やかになるはずなのだが今回はすでに一部が紅葉終了していて微妙に淋しい。色付きがやや妙なグラデーションになっている。


書院と南庭のある奥へ向かうと、強い逆光で書院手前の紅葉が輝くような濃い橙色を放っていた。池周辺はうっそうとして薄暗いが、書院も庭もどちらかというと民家のような雰囲気がある。
パンフレットによるとこの庭の基本の地割りは鎌倉〜南北朝時代の特色を持ち、創建当時の作庭と思われるそうである。明治初年に蓬菜島や石橋が設けられ大きく改造されたが、庭の命ともいえる地割りは残されたため古庭の高雅なおもむきは失われなかった…とのこと。そういったいきさつを知るとなんとなくわかるような気がしてくる。明治調というと小川治兵衛→名士の琵琶湖疎水系庭園、と連想してしまうが、ここを改造したのは一体誰なのだろう?

天授庵を出て、最後に南禅寺非公開塔頭のひとつである牧護庵の紅葉を覗いてから帰路についた。観光客のために門を開けてくれているのだろうか、とてもそそられる池泉庭園とカエデが見える。いつか公開して頂けないものだろうか…


2003年紅葉狩りの旅はこれで終わりです。冷夏による木の痛みと初秋からの高気温の影響が強く出た年でした。色付きの悪さ・進行のバラツキ・色寿命の短さがあって写真もイマイチになってしまいましたが、名所と言われる寺社の紅葉は例年はもっとずっと見応えあるものになりますので、京都初心者の皆様、どうかどうか落胆なさいませんよう…

〈2003年秋の項終了。2004年春につづく〉


▲妙な紅葉色付きの東庭
▲非公開塔頭の牧護庵

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