| 箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 冷夏にも秋の暑さにも負けず・第3日目-2 |
| ●善峰寺 |
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(善峰寺の歴史は2002年春の項にあります) 前回春に訪れた時はろくな写真が撮れていなかったので今回は気合いを入れようと思ったが、この寺は意外に撮影が難しいということにやっと気づいた。寺域は広大ながら段々畑のような山寺なので足場が狭く、お馬鹿なカメラだと“寄った写真”ばかりになってしまうのだ。沢山の見どころを撮影したいと思うけれど、人が多いこともあってやはり少し難しいかもしれない。ここは三脚使用OKなので、本格的な装備のおじさまがたがバズーカ砲かついで大勢いらしていた。紅葉に関しては皆さんややあきらめ気味の表情だ。前年の最高のコンディション時と比べてしまうとどうしても厳しいかも。それでも街なかと比べればかなり鮮やかで見応えある。登っていくごとに振り返ると様々な伽藍や点在する紅葉が望めるので疲れも気にならない。 |
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▲上から見た十三仏堂付近 |
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順路通り境内を進んで行くと、昨年春は造営途中だった新庭園が山の斜面に見えてくる。紫陽花が沢山植えられTVでも紹介される程の新しい花の名所になったようだ。(秋には何も無いのですが。) 山門横。逆光で撮ってみました。輝くような黄色がきれいでした。→ この翌週あたり(中旬以降)の冷え込みで残りの葉がうまく色付き、善峯寺全山がなかなかの見頃になったらしい。悪条件にもかかわらず持ち直してくれた健気なカエデに感謝感謝。とともに若干の悔しさと憎たらしさが残ることも否定できないのだけれど。いつかまたリベンジ!ということで、長いスパンで考えることにします(^^;) で、次は初拝観の金蔵寺! |
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| ●金蔵寺 |
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大きく栄えたが応仁の乱などによりほとんどの堂宇を焼失、徳川綱吉の母・桂昌院により再建された。 |
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早良親王その他の怨霊に悩み遷都せざるをえなかった桓武天皇は、平安京鎮護のための一切経を都の四方に位置していた磐座(いわくら。岩を積んだ原始の祭壇)の下に納めて「岩倉」としたのだそうだ。で、そのひとつがここ金蔵寺(西岩倉)の本堂下に埋まっているとか…。 経文の効果はあったのだろうか。桓武さんはこれでもかとばかりに怨霊対策を施したので、どの対策が有効だったのかわからなくなっていたのでは?(^^;) 金蔵寺は、脚に自信のあるかた以外はマイカーかタクシーを使わざるをえない地にある。善峰寺バス停でタクシーを呼び、ドライバーさんと相談の上、思い切って金蔵寺と次の勝持寺まで貸し切りにして頂くことにした。結構な出費なのだけれど…次の機会がいつになるかわからないので一大決心をしてみたのである。 |
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やや寂れた様子の無人の山門で拝観料を納めると、すぐ目の前から山寺らしい急な石段が続いていた。強い風で周囲の木立の葉がざわざわと鳴り始め、かえって人気の無い静けさが際だつ。石段の紅葉はたぶん例年なら鮮やかで見事なはずなのだけど、今年はちょっと苦戦ぎみかも。 石段を登りきって少し開けた場所に出ると、本格的なハイキング姿のグループのかたが数人おやつを食べていた(^^;) 左右にいくつかのお堂、正面にはさらに上へ続く急な石段があり、斜面はカエデに覆われていた。真っ赤ではなく微妙な色合いだが、鮮やかな黄色が日差しに映えて独特の印象的な景観になっている。 正面の石段を登りきると、うっそうとした木々の中に本堂が建っていた。灯籠のあたりなどはこの時間帯だと逆光になるので、上手なかたならきっといい写真が撮れるはず。 徳川綱吉の母・桂昌院は幼少時にこの寺に身を寄せていた縁で再建に尽力したのだそうだ。そのため、寺宝として綱吉が幼少時に遊んだという玩具「ぶりぶりきっちょ」(!?)や天狗の爪(!?)などがあり、庫裏で拝観できるらしい。が!それをすっかり忘れて、所要時間35分ほどで駐車場へ戻ってしまった。次にここを訪れるのは一体何年後になるだろう… 再び細い山道をしばらくひた走り、次の勝持寺に着いたところで精算してタクシーとはお別れ。出費はだいたい予想通りだったけれど、やはりちょっと辛いものがある(^^;) 〈つづく〉 |
![]() ▲本堂へ向かう石段横 吊された柿が風情あります。 ![]() ▲カエデに埋もれた本堂 |