箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 冷夏にも秋の暑さにも負けず・第1日目-1
【11月15日・詳細行程表】
 京都駅
  ↓(JR嵯峨野線)  
 嵯峨嵐山駅
  ↓(タクシー)
 化野念仏寺
  ↓(徒歩)
 滝口寺
  ↓(徒歩)
 二尊院
 ↓(徒歩)
清涼寺
 ↓(徒歩)
嵯峨釈迦堂前バス停   
 ↓(京都バス)
双ヶ岡バス停
 ↓(徒歩)
花園駅
 ↓(JR嵯峨野線・地下鉄)  
ホテル
 ↓(地下鉄) 
京都市役所前駅
 ↓
がんこ高瀬川二条苑 
 ↓
ホテル


前年同様、11月半ばに日程を組んだのですが・・・
色付き初めはなんとか順調かと思われていた紅葉はその後の異常な暖かさで進行が停滞。しかもやはり厳しかった冷夏の影響で木はかなり弱っていて、早く色付いた葉がすでに散りつつあるとのことでした。また「高雄・大原・貴船・鞍馬は特に厳しい状態で早々と戦線離脱」との情報が入り、全体的にもこのまま今年は大不作なのか?…とヘナヘナ気分での上洛になりました。
それでもなんとかイケてる所はないものか?と新幹線内で無い知恵を絞って予定コースを組み直し、初日は嵯峨野へ向かうことにしました。

JR嵯峨野線の嵯峨嵐山駅から、反則技のタクシーを使って化野念仏寺まで一気に北上します。



 ●化野念仏寺

鳥辺野・蓮台野とともに古来から風葬の地であった化野に、弘仁年間(810〜824)空海が五智山如来寺を建立し遺骸を埋葬したのが始まりと伝わる。のちに法然上人が念仏道場を開き浄土宗・化野念仏寺に改められた。この一帯から出土した小石塔8000体余りが地元の人の協力により明治中期に集められ、境内の西院の河原に安置された。8月23・24日にはこれらの無縁仏にロウソクを供える千灯供養が行われる。

バス通り(清滝道)もこのあたりまで来ると駅前の喧噪が嘘のように静かな空気が漂っている。バス通り下のトンネルをくぐり抜けるとすぐに化野念仏寺に着いた。

今まで来る機会が無かったので今回は紅葉抜きにしても来てみるつもりだったのだが…やはり色付きが良くなく、縮れて痛んだ葉や暗赤色の葉・オレンジ・黄色・青葉が混在している状態だった。この寺はカエデの本数がそれほど多くないこともあって尚のこと淋しいかんじ。
嵯峨野観光の北のはずれながら多くのかたが訪れていたが、皆さん多少の落胆の表情を隠せないようだ。特におばさまがたは愚痴をつぶやきながら拝観しているので、なんだか申し訳ないような気分になってしまう。「紅葉見物というより、手厚く供養された無縁仏をお参りしつつ心を鎮める場所なのだ」と思ってみたりするが、やはり拝観料○○○円は高いかも・・・ いかんいかん、これでは邪念のとりこですね。


▲山門
この辺の赤が一番鮮やかだったかも

びっしりと並んだ石仏・石塔群は主に室町時代のものが多いそうである。皆で順路通りてくてく歩いていると何気なく通り過ぎてしまうが、夕暮れ時などに一人で佇んだりすればひしひしと無常感を感じることができるのではないかと思った。
境内は想像よりも意外に狭くすぐに一回りできてしまう。奥の美しい竹林を通り抜けると不思議な形の六面体地蔵尊と墓地があった。六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)に対応するという六角形の石造り地蔵尊で、真言を唱えつつ周囲を回るのだそうである。

化野念仏寺を出て、おもむきある民芸品の店などを覗きながらしばらく南下すると祇王寺・滝口寺への曲がり角に着く。祇王寺は以前拝観したので、ちょっと紅葉的にはかなり厳しそうではあったが滝口寺へ入ってみることにした。



 ●滝口寺

もとは往生院三宝寺といい念仏道場として栄えていたが荒廃し、昭和初期に長唄の杵屋により再興される。平家物語の滝口入道横笛の悲恋物語をもとにした小説「滝口入道」にちなみ滝口寺と名付けられた。本堂に鎌倉後期作の滝口入道と横笛の木像が安置されており、境内には横笛が指を切って血で歌を書いたという横笛歌碑や新田義貞首塚などもある。

雅楽の調べが受付の外まで流れていた。境内は竹林とカエデの森に覆われたとても閑静な山荘のようなおもむきで、あまりお寺というかんじはしない。紅葉の進行は遅れていて、色づいている葉も赤ではなくオレンジか黄色ばかり。ここが真っ赤に染る頃や新緑の頃は素晴らしいに違いない。
雅楽の調べはてっきりテープだと思っていたのだが、本堂に着いてみると中で生演奏が行われていたのでびっくり。いや、正装の東儀秀樹みたいな人ではなくて(^^;) 数人の若い方が体験講習的に指導を受けているような風景だった。

平重盛の家臣・斎藤時頼は建礼門院付き女官の横笛を妻にしようとしたが許されず、出家してこの寺の前身の往生院に入ったのだという。寺を訪れた横笛は会うことを拒否され門前の石に歌を記して泣く泣く帰り、その後出家し間もなくこの世を去った(一説では入水自殺?)。それを知った滝口入道はますます修行に専念し高野の聖と呼ばれる高僧になったという。
この滝口入道と横笛の悲恋物語は超有名なのだが、個人的には何故かあまり興味をひかれない…(すみません)。平家供養塔横笛歌碑もうっかり見るのを忘れていたが、新田義貞首塚だけはしげしげと眺めてから寺を出た。

▲なんとか色付き始めた
境内の紅葉


次の二尊院までの道も土産物店などが並んでいるが、ちりめん細工の大小のテディベアが多いということに気付いた。今年の流行か? 元来特にクマ好きではないのだが何故か心惹かれるものがあり、模様と表情を厳選して買うことに決めた。しかしこの界隈のお店では気に入ったものが見つからず、また次の場所でということにして二尊院へ。(^^;)


 ●二尊院

釈迦如来阿弥陀如来を本尊とするため二尊院と呼ばれる。嵯峨天皇の勅願により承和年間(834〜848)慈覚大師円仁が創建したのが起こり。その後荒廃し法然上人の弟子・湛空上人らにより中興されて栄えたが応仁の乱で全焼、本堂と唐門のみ再建された。角倉家や公家の二条家、三条家、四条家、鷹司家などの墓所があり、藤原定家の百人一首選定の地と伝わる時雨亭跡紅葉の馬場と呼ばれる広い参道などでも知られる。
豪商・角倉了以が伏見城から移したものと言われる堂々とした構えの総門(薬医門)から覗くと、ゆったりとした参道が長く続いているのが見える。この参道は紅葉名所として有名なのだがさすがに今年は葉の状態も色付きもかなり厳しいようだった。今回初めて訪れたというのに残念で仕方ない。
参道を上りつめ唐門から本堂前庭・龍神の庭に入る。二尊院垣と呼ばれる円を描く低い垣は蛇腹を形取ったものだそうで、子供だましのように低くて不思議な印象だ。


▲やや淋しげな参道(紅葉の馬場)

大勢の人で混雑する本堂で参拝後、再び庭へ降りると勅使門を背景に植えられた嵯峨菊がきれいに咲き揃っていた。庭を横切って弁財天堂横から石段を登ると湛空上人廟。あれれ?資料によっては法然上人廟になっている? 正しくは湛空上人廟だそうで、呼称に違いがあるのは法然上人が当時罪人扱い同然だったことと関係があるらしい。詳しくは不明。
法然上人の遺骨は西山の光明寺で荼毘に付されているが、その前に法難を逃れて一時この二尊院に避難している。またここへは後に湛空上人により法然上人の分骨が安置されたそうだ。確か塔が建てられているはずだが… 探し忘れました、すみません(T-T)

湛空上人廟から広い境内を一巡りすると多くの公家や角倉家(了以さんだけでなく一族のかたがたも。)や阪東妻三郎などの墓所を見ることができる。ほとんど本格的な墓地の中なので観光気分で歩くのはそぐわないかも。

その途中、「土御門天皇 後嵯峨天皇 亀山天皇」と書かれた看板の横に、オブジェ的ムードを漂わせる三基のミニ石塔が建っている。天皇陵にしては詳しい解説も無いし建ち方も無造作なので「???」と思ったがやはりこれは三帝陵で、三帝の分骨が祀られているとのこと。土御門・後嵯峨・亀山といえば祖父・パパ・息子の関係なのだが、亀サマの先代で兄にあたる後深草さんがここには並んでいない。やはり大覚寺・持明院両統迭立のゴタゴタの因縁が関係しているのだろうか。

墓地を一周したところで順路はおしまい。隣の常寂光寺は何度か拝観したことがあるので次は清涼寺に行くことにした。(後日「紅葉状況の厳しい中で常寂光寺は大健闘だった」と聞いて複雑な気分です…)
〈つづく〉


▲角倉了以墓所
▲三帝稜の亀山天皇陵
(亀サマ画像だけですみません)

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