箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 驚愕の早桜を愛でる・第3日目-2

 ●建仁寺

建仁2年(1202)臨済宗開祖の栄西が開いた京都最古の禅宗寺院。京都五山第3位の地位を得たがほとんどの堂宇を焼失、安国寺恵瓊により再興された。創建時には及ばないが広い境内に重厚な伽藍の数々が一直線に並ぶ。
俵屋宗達風神雷神図など多くの文化財を有し、2002年には浴室が修復され法堂の天井画「双龍図」も完成した。

前回訪れた時に方丈と前庭・茶室を拝観したので、今回は時間が少ないこともあり境内を歩くだけで我慢することに。
祇園の繁華街のすぐ南とは思えないほど静かで堂々としたお寺である。境内には松が多いが意外に紅葉や桜もあり、望闕楼や法堂とのコントラストが美しい。
勅使門は平重盛の館の門を移築したものであるという解説があるが、一説では鎌倉時代の六波羅探題北方の門とも言われているようである。北条義宗ファンとしては何としても後者の説を推し、ひたすら煩悩に浸りたいところなのである。

※北条時宗関連コンテンツ「六波羅探題プチ紀行」

開山の栄西禅師は中国から茶種を持ち帰った日本の茶祖として有名であり、その茶碑が境内に立っている。碑の横の紅枝垂れ桜がとても美しい。団体さんが移動してくれず写真は無し(T-T) 

栄西は留学先の宋で学んだ禅の教えを広めようとした。比叡山のなかには新仏教に反発する保守的層があるため、禅宗寺院では当初は天台・真言両宗も含めて学ぶ形をとるなど、いわば比叡山に気を遣う形をとっていた。にもかかわらず旧仏教からの反発を受け、源頼家の庇護によって京都に入りようやく建仁寺を完成させたのだそうである。

結局この日はのんびりと桜を楽しむだけになった。次回はぜひ浴室と双龍図の特別公開時に拝観したい。風神雷神図の本物もいつかは目にしたいと思う。
勅使門横から出て帰路につこうとすると、すぐ西隣に狛犬ならぬ狛イノシシが可愛らしい建仁寺塔頭の禅居庵を発見。

▲矢痕が残る曰くありげな勅使門
おまけ:秋の境内
方丈前庭


 ●禅居庵

建仁寺塔頭のひとつ。元弘3年(1333)小笠原貞宗が建立した。開山の清拙正澄により摩利支尊天像が祀られた本堂の摩利支天堂は、京都には数少ない中世の禅宗様仏殿である。
現在では亥年の人や祇園の花街からの参拝が多い。

イノシシの顔を見ているうちに何かの縁を感じてふと急にお参りしてみたくなり、亥年生まれではないのだがとりあえずお願いをしてみたところ、数日後その願いが紆余曲折を経て叶ってしまい吃驚仰天!
祀られているのは開運・勝利などの功徳のある摩利支天。あの前田利家が兜の中に入れて出陣したことでも知られる武士の守護神だそうである。これはもしや六波羅探題赴任時の北条義宗(ヨッシー)も祈願に来たかも!? と思いきや建立は1333年とのこと。げ、鎌倉幕府滅亡の年か(T-T) 
しかしこの摩利支尊天像はなんと北条高時の詔により中国から持ち込まれ祀られたものだとか。これは北条ファンとしてはますます何かの因縁を感じざるをえないのであった。



これで今回の花見上洛における寺院拝観はすべて終了。鴨川沿いの桜(「花の回廊」と呼ぶそうであるがどのへんからどのへんまでが回廊?)の下を歩いて五条京阪バス停から京都駅へ戻った。
それにしてもこの年の桜は早熟かつ足が速かったこと! 仁和寺の御室桜までもが5日かそこらに見頃開始になっていたとは…。そしてまた気象庁の桜開花予想が大ハズレに外れた年でもあったのである。


●忘れ物の行方とその後日談(「第2日目-1」参照)

長岡京駅のかたに、忘れ物をした電車の始点(京都駅)と終点(大阪駅)の遺失物取扱所の連絡先を教えて頂いたので、2日ほどのちに問い合わせてみると、忘れ物は善意のかたにより途中駅へ届けられ京都駅遺失物取扱所へ転送されているとのことだった。乗った電車の始発時刻を覚えていたことと、遺失物にちょっとした特徴があったことが不幸中の幸い。係のかたとの確認電話もスムーズに進み、着払いの宅配便を手配して頂くことが出来たのである。そして翌々日、涙のご対面(ToT)
長岡京駅のかた、届け出て下さった乗客のかた、また各駅の遺失物取扱所のかたがた、皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。  って、読んでくださってるわきゃないか(T-T)


〈2002年春の項終了。2002年秋につづく〉

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