箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 驚愕の早桜を愛でる・第2日目-2

 ●善峯寺

長元2年(1029)比叡山の源算上人による開山。承久の乱以後は門跡寺院となり、朝廷・幕府双方から庇護を受け50余りもの堂宇を有した。応仁の乱でそのほとんどを焼失、徳川綱吉の生母・桂昌院の寄進により現在の姿に復興した。
寺域は起伏に富み、市内の眺望や四季の花・紅葉が楽しめる。樹齢約600年、全長30mあまりの遊龍の松が有名。

←写真失敗につき、2003年秋の画像を貼りました

タクシーはごっつい立派な駐車場に入ったのでびっくり。「観光地化かよ?」と辟易しながら歩くと、小さいながらも存在感のある仁王門に着いた。門をくぐって観音堂へ出ても大きく視界は開けず、公園のように次の順路へと階段が続いている。3万坪という敷地全体が回遊式の庭園になっているので、落ち着いて拝観するなら小1時間は見たほうがよいかもしれない。
まず、桂昌院手植えの遊龍の松の下をくぐる。近年虫食いにより十数メートル刈り込んだとのこと、なんともったいない・・・しかしそれでも充分立派な長さである。そこから諸塔を回ったのだが、湿度がイヤな感じに上がってきたため体調が今ひとつさえず、写真もおろそかになり記憶が混濁してしまった(T-T)

くねくねと順路通り進んでいくといきなりぽっかりと削れた崖があらわになっていた。新庭園を建設中とのこと。進化し続ける善峯寺、侮り難し!(後日聞いたところでは建設は無事終了し庭園を見下ろす舞台も作られたとか。 またこの数日後には文殊堂寺宝舘の落慶法要が行われ、春秋に桂昌院や綱吉ゆかりの品々などが特別公開されたそうだ。)


奥の院あたりまで登るとかなり体力を消耗する。体調イマイチの時は尚のこと。(シオシオのパー)

帰路、階段の途中から桂昌院手植えの枝垂れ桜と経堂を写真に収められる所がある。頑張って撮影したが、数年前のJR東海「そうだ 京都、行こう」CMのまるで極楽浄土のような映像にはほど遠い・・・。無気味な写真になってしまってがっかり。雲が分厚くなり一雨来そうな具合になってきたので長居せず寺をあとにした。


▲枝垂れ桜と経堂 心霊写真ではありません(汗)


しかし「応仁の乱で消失した寺社のなんと多いことよ!」と今、改めて思わされる。というか授業で習った事を全く忘れたので最近気付いたのだけど(T▽T)。こんな山間の寺(失礼!)にまで及んだ兵火はほとんどの堂宇を焼き尽くし、京の街は荒れるに任せるも同然だったとは・・・想像を絶するほどの痛ましさ、としか言いようもない。
信長・秀吉の時代を迎え街は徐々に復興し、さらに徳川幕府により数多くの寺院が再建された。その点は為政者の権力と財力も捨てたものではない、などと思ったりする。しかし明治政府の社寺上地令だの廃仏毀釈運動だののスットコドッコイさにはお手上げである(T▽T)/ (学生時代、日本史と古典は赤点目前だったにもかかわらずこのように歴史に思いを馳せるHPを作ろうとは。思いもよらぬことでございました。人生とはつくづく先のわからぬものでございますなぁ。)

などという感想は拝観中はみじんも持たず、サクサクと昼食場所に向かった。善峯寺から15分ほど下ったところにある「よしみねの里」。



 ●かぶら家 よしみねの里

山菜や西山名物の竹の子など、山里ならではの素材を使ったメニューが豊富な食事処。 竹の子ご飯(秋はマツタケ)に竹の子そば、漬け物、お吸い物などがついたお得なセット(1200円)もある。山の幸の漬け物などは売店で買うことができる。
画像はイメージです(^^;) →
TEL:075-331-5521 詳細はHPで

この界隈では食事処は少ないので混雑期は時間に余裕を見ないと辛い目にあう。私は1時過ぎになんとか入り込んだが後に来た家族連れはことごとく「1時間待ちです〜」と宣告され途方に暮れていた。しかし炊き込みご飯とそばには竹の子が驚くほどゴロゴロと入っており味も想像以上だったのでカタいことは言わないことにしよう。
食事後、またもや次の勝持寺までのタクシーを頼み(軟弱・・・)「よしみねの里」の土産物売り場で待っているとポツポツと雨が落ち始め、タクシーに乗り込むと同時に地獄のような本降りに!!


 ●勝持寺

天武9年(680)、役行者(「えのぎょうじゃ」と読むらしい)が創建し、桓武天皇の勅願で最澄により再興された、という説がある。のちに多くの塔頭が建立され栄えたが応仁の乱で仁王門を除くすべてを焼失、桂昌院により再建された。
この寺で出家した西行法師は銘木「西行桜」を植え庵を結び多くの和歌を詠んだ。境内には他にも数百本の桜があることから花の寺と呼ばれている。
タクシーが勝持寺に着くやいなや豪雨は嘘のような小雨となりひと安心。拝観入口はいかにも受付受付した真新しい建物で、花の寺の素朴さに不似合いな気がしたりするがそれはいいとして、まず雨宿りも兼ねて堂内拝観に向かった。茅葺きの本堂など建物はこじんまりとして意外に可愛らしい。瑠璃光殿には薬師如来坐像など多くの仏像が安置されている。
庭へ出ようとすると幸運なことに雨は上がって薄日が差し始めていた。

まず鐘楼のそばに西行桜を発見! しかし空はまだどんより灰色状態で残念ながら写真は情けないものになりマシタ(T-T)
西行は「願わくは花の下にて春死なん」と詠んだ。すると梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」 まさかそれは西行?(^^;;;)

境内はとにかく一面に桜が密集していて視界がきかないほど。街なかの桜とは違って山里の風情も満喫できる。洗練された庭園というかんじではないけれど、奥へ進めばまた新たな桜がどんどん現れて面白い。ちょっとした高台があり、そこから見下ろす花に雨上がりの午後の日差しが当たって輝くばかりの美しさ〜。
門前の石段の桜はJR東海のCMをはじめ雑誌などでもよく見かけるが、この日は何故かまばらでスカスカな状態だった。枯れた後だったのか? 次の大原野神社までは竹林を抜けて徒歩で数分。道はかなり淋しいがすぐに神社の境内に出た。


▲茅葺きの庫裏


 ●大原野神社

長岡京遷都にともない藤原氏の氏神である奈良の春日大社の分霊をこの地に勧請、平安京遷都後の嘉祥3年(850)に社殿が造営され大原野神社と称された。
本殿は春日大社と同形式。鹿の石像を狛犬がわりに配し、睡蓮の花が咲く鯉沢池も奈良の猿沢池を模して作られた。

先に訪れた十輪寺の塩竃で在原業平が塩焼きの煙に二条皇后・藤原高子への叶わぬ想いを込めたのは、皇后の大原野神社参詣の折だったそうである。
桜が今ひとつふっきれて咲いていない?ような印象で、全体的にあまり萌えるものがない・・・。いや、深く掘り下げて見れば味わいがあるはずなのだが、今回は時間が押していたこともあって長居することもなく失礼させて頂いてしまった。鹿さんごめんなさい。次は紅葉の時期に是非訪れてみたいので、その時は一献酌み交わしましょうぞ。
ということでこの日最終目的地の正法寺までは徒歩ですぐ。(つづく)

箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 驚愕の早桜を愛でる・第2日目-2