箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 驚愕の早桜を愛でる・第2日目-1
【3月30日・詳細行程表】
 京都駅
  ↓(JR京都線)
 長岡京駅
  ↓(阪急バス)
 光明寺
  ↓(タクシー)
 十輪寺
  ↓(タクシー)
 善峯寺
  ↓(徒歩)
 食事「よしみねの里」  
 ↓(タクシー)
勝持寺
 ↓(徒歩)
大原野神社
 ↓(徒歩)
正法寺
 ↓(徒歩)
南春日町バス停
 ↓(阪急バス)
東向日駅
 ↓(阪急京都本線)  
河原町駅
 ↓(徒歩)
祇園
 ↓(徒歩)
清水寺
 ↓(徒歩)
食事「みつ」
 ↓(徒歩)
円山公園


2日目朝、予報では空模様は不安定、ということで面倒くさいが折り畳み傘を持ちホテルを出たしかしこの折り畳み傘が凶運の引き金になることをこの時は全く知る由もなかったのである。

西山・大原野に向かうため京都駅から東海道本線(JR京都線)に乗った。邪魔くさい折り畳み傘をバッグに詰め込もうと努力するうちに長岡京駅に着いてしまい、あたふたと下車する。阪急バスに乗り込もうとしたところで恐ろしい事実に気付いた。傘に気をとられて電車の中に重大な忘れ物をしてしまったのである!
長岡京駅のかたに各主要駅への捜索を依頼して頂きしばらく待機してみたが発見されない。もし係員の少ない駅で拾得されていれば今の時点では発見されずそのまま遺失物センターへ転送される可能性があるそうだ。しかしその結果がわかるのは2〜3日後になるという。うははは(--;) ジタバタしても仕方ないので開き直って観光を続けることにした。というわけでタクシーで光明寺へ。(忘れ物の行方とその後日談は「第3日目-2」のページにあります)



 ●光明寺

正しくは粟生光明寺という。法然上人が初めて念仏を説いた念仏発祥の地に、熊谷直実(蓮生法)により建久9年(1198)創建された。当時は念仏三昧院と言われていたが、法然上人の石棺から当地に向け光が発せられたことにより光明寺と改名され、そののち西山浄土宗総本山となる。応仁の乱などにより焼失したが、徳川幕府の援助を受け多くの堂宇が再建され大伽藍として復興した。
紅葉の名所として知られており、秋の参道は紅葉のトンネルとなる。

待望の西山だ・・・(感無量)。竹林の多い、どこか懐かしい穏やかな風情の中に光明寺はあった。
総門をくぐると幅広い緩やかな石段の表参道が続いている。今は地味だが周囲すべてカエデの木。秋の紅葉の凄さが目に浮かぶようだ。拝観料無しというのも嬉しいことである。
※2003年より紅葉シーズンの入場有料化!
(^^;)
境内に入ると正面の大きな御影堂をバックに満開の桜という視界が開ける。オフシーズンは静かなのだろうが、この日は家族連れなど意外に多くの拝観客がのんびりと撮影していた。

光明寺総門

寺名の由来になっている「光」は、大谷の廟所から法然上人の石棺を移そうとゴタゴタしていた際にこの粟生野の地に向けて棺から発せられたものだという。何故移す必要があったのか? 比叡山を下りた法然上人が説いた専修念仏は一般民衆の間に急速に広まっていた。これに対する旧仏教側(比叡山)からの迫害は大変強く、法然の死後その廟所が襲撃されそうになったためだそうである。日蓮の日蓮宗、栄西の臨済宗などもやはり旧仏教側からの反発を受けていた。さかのぼればその比叡山さえ当時の旧仏教(奈良仏教?何教?)の反発により苦難の道を歩んだのだという。
旧仏教内部の腐敗や争乱や教義上の矛盾の中から命がけで新仏教を開く学僧が現れる・・・この繰り返しで仏教は成熟し民衆の間にも文化が広まっていったということなのだろう。今までそんなことには全く考えが及ばなかったのだけど。こんなかんじで当たってますでしょうか…(汗)

御影堂内の本尊は張子の御影である。えっ、張子? 法然上人の母からの手紙を貼り合わせて手作りされたものだと知りかなり驚いた。
念仏が朗々と響き渡る堂内(さすが浄土宗・・・)を覗いてみると僧侶のかたが一面にズラリと並んでいる。圧巻。ふとその後方を見ると数人の拝観客が座って瞑想しているので、私もお邪魔してみた。
厳粛な雰囲気に「あまりそそくさと退散しては失礼かも?」とガラにもなく長居させて頂いた。忘れ物事件で時間をロスしていたこともあり、お堂を出てからはサクサクと桜の写真を撮って光明寺を出たが、後で考えると他にも回廊で結ばれた建物があったはずではないか! お経を聞いて満足したためか見るのを完全に忘れていた・・・。馬鹿すぎる。残念すぎる。ぜひ秋にでもリベンジしなくては!

このあたりの寺社は点在しているので歩き通すには根性と足元の準備が必要だが、電話でタクシーを呼んでしまうのが(「邪道!」と思わないかたならば)手軽な方法である。西山方面でのタクシーは以下の2社が便利。ということでタクシーで次の十輪寺へ。

●阪急タクシー075−922−3156  ●都タクシー :075−921−0038



 ●十輪寺

嘉祥3年頃(850)文徳天皇の皇后・染殿皇后の安産を祈願して建てられたのが起こりと言われる。応仁の乱で伽藍の多くを焼失したが江戸中期に再興され花山院家菩提寺となった。別名「なりひら寺」と言い、ここで晩年を過ごした在原業平の墓と伝わる宝篋印塔塩竃跡が残る。
鳳輦形と呼ばれる珍しい形の本堂屋根や三方普感の庭などが見どころ。

←写真失敗につき、2003年秋の画像を貼りました

歴史ファン・京都ファン以外にはあまり有名でない小寺なのだが実は意外な見どころアリで、ちょっとした穴場と見た。
本堂屋根は御輿の形と同じ面白いもので、その屋根と高廊下に寄り添うように一本の立派な枝垂れ桜「業平桜」がある。この日はちょうど満開で最高にいい絵! のはずなのだがあいにくの曇天、しかも庭の一部に青いビニールシートが。良い写真があまり撮れず消化不良のまま本堂へ上がった。

高廊下・業平御殿・茶室に挟まれた三方普感の庭を見た。坪庭と言えそうな狭い空間なのだが、見る位置を変えると違った表情を表すのだという。高廊下と御殿から眺めてみると、本当に雲海や海底・大宇宙などにも見えてくる不思議な奥の深さが感じられた。満開の枝垂れ桜の花びらが彩りを添えていて最高に良いかんじ。石や砂の使い方も面白く、出来ればちょっと長居して眺めたい庭である。御殿では寝転んで見るのが正しいそうだが、他に人が居たのでそれはやめておいた。

本堂裏の丘には在原業平の墓「宝篋印塔」(意外に小さく地味)と、清和天皇の后である二条皇后・藤原高子への許されぬ想いを込めて海水を焼いたという塩竃(これも地味)があった。伝説に過ぎない話なのだろうけど、塩焼きの煙に叶わぬ想いを託すとは奥ゆかしすぎる・・・

予約すれば、業平忌に供えた御膳が始まりだという精進料理をいただけるそうで興味津々である。業平ファンのかたなどはすでに食されたのだろうか。

次の善峯寺へは健脚なら歩けぬ事もないがついついまたタクシーを呼んでしまった。このあたりから上はケータイの電波状況に注意が必要。私のPHSはすでに繋がらず、やむなく公衆電話を使用した。 〈つづく〉


業平桜と高廊下


▲三方普感の庭

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