箱庭的世界 >> 京都煩悩紀行 >> 史上最強の錦秋美・第2日目-3

 ●弘源寺

天竜寺の参道途中にあり、天竜寺七福神の毘沙門天を祀る塔頭寺院。永享元年(1429)室町幕府の管領であった細川持之が、夢窓国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山として創建した。創建時は広大な寺領を有していたが幾度か焼失、再興されこの地に移転した。
特別公開中は、嵐山を借景とした枯山水庭園「虎嘯の庭」や日本画家・竹内栖鳳とその門下生の作品などを見ることができる。

宝厳院とセットで拝観券が売られていたためもあってか、意外に多くの拝観客が集まっていた。中には、宝厳院と同様の派手な紅葉庭園を期待して訪れ、若干の不満を持たれたかたも居たらしい。セット拝観は誤解を招きかねないということなのだろうか…
しかし宝厳院ほどの隠れた紅葉庭園は滅多にあるものではないですヨ(^^;)

門をくぐると、毘沙門堂前のドウダンツツジ(満天星)の刈り込みが鮮やかな橙色でびっくり! 冷え込んできた夕暮れ時にこの橙色はとても暖かみが感じられて感動的だった。全体にこじんまりとして落ち着いた良いお寺という印象を受ける。


▲虎嘯の庭


虎嘯の庭はわりと地味なのだが、嵐山を借景とした庭がある塔頭は確かここだけでは? その庭を望む本堂の柱には、幕末の蛤御門の変の際、血気はやった長州藩の兵が試し切りをしたという刀傷が…。お寺のかたのご説明によると、天龍寺は蛤御門の変で長州藩軍の本陣となったため薩摩藩軍の攻撃を受けそのほとんどを焼失してしまったそうである。塔頭の弘源寺はかろうじて焼失を免れ、柱の刀傷が残ることになった。激動の時代をくぐり抜けてきた柱…。歴史の重みを感じざるをえない。(本堂はその後再建されたもの) 歴史についてご教授下さった弘源寺のかたに感謝申し上げます。

日本画の作品は明治以降の近代のものなのであまりよくわからなかったが、竹内栖鳳ねこの図は、えもいわれぬ色気を感じる背中が印象的だった(^^;)



すっかり日も暮れた頃、弘源寺を出て速攻で嵐山駅から京福線に乗り込んだ。というのもこのあと、京都在住の歴史ファンNHK大河「北条時宗」ファンとも言う)、北斗さん・芭雨さんとの恒例のミニミニオフ会があるのである。しかしあまりの寒さゆえ一度ホテルへ戻って一枚着込まねばならない。我ながら忙しい日程を組んだものだ(^^;)
京福線は終点が四条大宮で、いつもその不便さを理不尽に感じる。市バスに乗り換えてホテルへ戻り、まず芭雨さんとの知恩院夜間拝観。渋滞を避け地下鉄東山駅から噂の古川町商店街を通って徒歩で行くことにした。待ち合わせ場所の喫茶店で芭雨さんと落ち合い、いざ知恩院へ。


 ●知恩院

比叡山を下りた法然上人が念仏の根本道場とした地に、文歴元年(1234)高弟の源智上人が創建した名刹。応仁の乱などで焼失するが秀吉や徳川幕府の庇護を受けて復興、大きく寺域を拡大した。
現存する日本最大の三門、日本最大の鐘楼、法然像を本尊として祀る御影堂など壮大な伽藍が並ぶ。伽藍のあちこちに置かれた知恩院七不思議なども知られている。

ライトアップ期間には三門コンサートが開催されていて、この日は中国琵琶の演奏が聴けた。でかい三門の下、不思議な異国情緒が漂っていた。
門の南にある普段は非公開の庭園「友禅苑」も公開されていたのだが、池の畔の紅葉のきれいさにびっくり。幻想的な雰囲気に「こんな庭園を隠していたとは!」とさらに驚いてしまった。芭雨さんによると「夜は紅葉のアラが隠れる」という説も(^^;) 写真の聖観音像高村光雲の作だとか。そして庭園隅にある銅像は法然さんかと思いきや、友禅染の始祖とされる宮崎友禅の像だった。知恩院はさすがに奥が深い・・・

他に夜間拝観は鐘楼御影堂(の忘れ傘)だけだったのだが、鐘楼のでかさにはあらためて圧倒されてしまった。「これ、一人で撞けるのかな?」と言っていたら、大スクリーンに実際の鐘つきの光景が映し出されていて、なんと大晦日には17人がかりで行うとのこと。先頭の僧侶のかたが大きく体を投げ出すようにして撞く凛々しい姿に惚れ惚れしてしまった(^^;)


▲上:友禅苑の聖観音像/下:日本最大の鐘楼


その後、昨年同様の宴の場、おばんざい「みつ」へ。念願の角煮や一人ずつ鍋で炊くお豆腐など、前回とは違うメニューの美味なおばんざいをまたまた堪能できて大満足だった。「みつ」さんは本当に穴場です!(「みつ」さんの詳細はHPで)
宴の後は謎の会話などしながらまた古川町商店街を抜けて地下鉄東山駅へ。そこでこの日の日程はおしまい。

〈3日目につづく〉


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