箱庭的世界 >> 京都煩悩紀行 >> 史上最強の錦秋美・第2日目-2


(前ページのつづき) 高山寺の白壁の塀の横を通り、国道へ出るとすぐ目の前がJRの栂ノ尾バス停。並んでいるのはたいした人数ではなく、来たバスもまるで混雑することなく無事に山を下りてしまった。混雑と無縁の三尾を充分堪能できて楽勝気分で御室仁和寺で下車した。
なぜ御室仁和寺下車なのかというと、単にバスが龍安寺方面へ向かう路線だったから。次の目的地の妙心寺塔頭へは市バスに乗り換えてすぐ。市バス一日券があるので、乗れる限りのバスに乗り時間を節約できるし楽ちん。あ、その前に遅い昼食だった(^^;)



 萬長

妙心寺すぐそばの京料理店。「徒然草」にちなんで名付けられたというつれづれ弁当が名物。塗りの手桶に盛り込まれた旬の料理を手軽に頂くことが出来る。つれづれ弁当は2500円から。松花堂などもある。
妙心寺北門西向かい TEL:075-461-3961 詳細はHPで

時間は1時を過ぎていたのでここも混むことなくゆっくりと食事できた。つれづれ弁当の一番お手頃価格の「梅」を頂いたが、これぞ京弁当!というわかりやすいお料理でボリュームもあって良かったです。

で、北門から妙心寺山内に入る。非公開の塔頭寺院が大半なのだが、そういうお寺に限って山門外から覗き込むとやたら美しそうな庭と紅葉が微妙に見え隠れしていてそそられる。石田三成一族菩提所春日局菩提寺を横目で見つつ横丁(?)に逸れて一番はずれまで歩くと大法院に到着した。



 ●大法院

寛永2年(1625)真田幸村の兄・真田信之の孫である長姫により淡道宗廉を開祖として創建された。信州松代藩主真田家の菩提寺。松代藩出身の幕末の兵学者・佐久間象山の墓や徳川家康の長女・亀姫の像などがある。
新緑と紅葉の時期のみ公開される。露地庭は隠れた紅葉名所。

春と秋に公開されていたのを全く気づかず旅行直前に情報を仕入れたのだが、さすが噂通りの落ち着いた露地庭。拝観客も少なく、自然と静寂の中で自分を見つめることが出来る場ではなかろうか、なんて。しかし実際は良いお庭を前にすると安らぐと同時に妙な高揚感に襲われて煩悩のとりこ状態になってしまうが。お抹茶を頂きつつ鑑賞できる露地庭は自然を生かしているのが特徴で、一面苔に覆われていて紅葉も派手さはないが素晴らしい。

幕末の兵学者・佐久間象山の墓がこの寺にある。全然知らなかった。西洋文化にも通じた非常に多才な学者で、あまりにも革新的な開国論を唱えたため攘夷派により暗殺されてしまったそうだ。木屋町御池を少し上がったところに佐久間象山・大村益次郎遭難の地碑がある。「遭難」というのは山や海で難に遭うことだとばかり思っていたので、地図上でこの碑を発見した時は少なからず驚いたものだ(←バカ)。

▲露地庭
次は急遽予定に組み入れた等持院である。どう行程を組んでも時間的・距離的にやや辛いのだが、やはりここではずすわけにいかないでしょう等持院! 最終予定寺院をカットすればいいや、とういうわけで地図と首っ引きで脚力を振り絞って速攻で向かうことにした。


 ●等持院

禅宗十刹の筆頭寺院。暦応4年(1341)足利尊氏夢窓国師を開山とし等持寺の別院として創建した北等持寺が始まり。尊氏の死後に等持院と改められ、応仁の乱後に等持寺も合併されて足利家菩提寺となる。荒廃し足利義政、豊臣秀頼らにより再建されてきたが江戸後期に全焼、妙心寺塔頭の方丈や一条家の書院などを移築して再建された。
霊光殿には足利歴代将軍の木像があり、庭園には尊氏の墓と伝わる宝筺院塔がある。庭園は夢窓国師作と伝わる名園。

妙心寺から結構な距離を歩いて、毎回「ここでいいんだったっけ?」と思ってしまう地味な鉄柵門から入ると等持院境内。意外性があって個人的に妙に好きなお寺です。混雑しないのが不思議なほど。

霊光殿歴代将軍木像は一体一体がとても個性的でインパクトがある。尊氏像を筆頭に庶民的な顔立ちのものが多く不気味さは無いので、霊感の強いかたでも大丈夫なのでは?(^^;) で、この木像、5代と15代が欠けているうえ、歴代の『代』の数え方が通常と違うのだとか。理由に定説はあるのでしょうか? しかも幕末には尊王攘夷派の志士が「皇室を混乱させた逆賊」と言いがかりをつけて三代までの木像の首を三条河原に晒したそうである。一説では等持院関係者が偽物を渡し難を逃れたとか? やはりなかなか奥の深い像のようだ・・・。

芙蓉池庭園では、小さな足利尊氏墓と歴代将軍の供養塔(遺髪が埋められている!?)が紅葉の中にたたずんでいた。西庭はツツジの丸い刈り込みがポコポコと美しい開放的なお庭(写真は一番上)で、借景は衣笠山…ではなく今は立命館大の校舎だが(^^;) 東庭は南北朝時代の様式が残るという野趣あふれる雰囲気。紅葉がとても美しくしかも静かで大満足だった。

近年修復されたという方丈襖絵は、明治維新の際に一部損傷、後に境内に等持院撮影所が置かれロケに使用されたためかなり破損していたのだそうだ。ロケに使用されたため破損!? 思わずひっくり返りそうになった。

名残惜しい等持院をあとにして、ちょっとばかり強行軍気味に(^^;)京福電鉄で嵐山へ! 嵐山と言っても、特別公開中の天竜寺塔頭だけが目当てである。急げ急げ〜


▲足利歴代将軍供養塔/▲尊氏の墓



方丈前庭と唐門
▲芙蓉池底園東庭


 ●宝厳院

寛正2年(1461)室町幕府の管領・細川頼之により夢窓国師の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山として創建された。応仁の乱で焼失したが再建され、秀吉や徳川幕府により保護されてきた。その後衰退し、変遷を経て天龍寺塔頭・弘源寺内から現在の地に移転再興された。
室町時代作の獅子吼の庭は、嵐山を借景に取り入れていて新緑や紅葉が美しい名園。近年、約140年ぶりの特別公開にあたって整備された。

宝厳院は天龍寺法堂の南側、以前のガイドブックには載っていない位置にあった。宝厳院がこの地に移転するにあたり庭園が整備・公開されることになった訳で。

秋を向かえる前から堤タクシーさんに「紅葉が楽しみ」と情報を頂いていたので拝観することにしたのだが、たどり着いてみると茅葺きの受付の周囲からすでに凄い紅葉がはみ出していて驚き。受付には、同じく特別公開中の弘源寺とセットのお得な共通拝観券があったので迷わずそれを購入してしまった。本当は弘源寺は時間の関係で諦めるつもりだったのだが・・・間に合うのか?

▲獅子岩
▲受付近くの蓑垣

獅子吼の庭は借景式枯山水庭園なのだが、散策し自然に触れることによって人生の真理を感じ取るためのものらしい。枯山水なのに回遊式。獅子岩碧岩などの巨岩や蓑垣豊丸垣など見所満載で、しかも紅葉に埋め尽くされていて別世界のよう。須弥山を表す築山や苦海、此岸・彼岸などを表した石組みもあるが、お寺の庭というより名士の邸宅の大庭園という趣が強い。

かつてこの付近一帯には天竜寺塔頭が立ち並んでおり、この獅子吼の庭も塔頭・妙智院の境内だったそうである。幕末の蛤御門の変の際、長州藩軍の本陣となっていた天竜寺は塔頭の多くを焼失、焼失した境内地は維新後明治政府により没収されてしまう。旧・妙智院の地はその後民間に払い下げられ別荘地として現代に至っていたが、宝厳院が近年譲り受けて移転・再興ということになったのだそうである。長く失われていた天竜寺塔頭の地がここに回復したことになる。ご教授下さった弘源時・宝厳院のかたに感謝申し上げます。

数日後にこの庭園がテレビで紹介され、それ以降は超有名寺院のような大混雑に襲われたようである。私が訪れた時はまだ一部の人しか知らない状態だったようだ。なんとすさまじきテレビの力! ところで、あまりにも紅葉庭園が有名となってしまったが本堂内は公開されなかったのでしょうか?

次は、拝観終了時刻まで残りわずかの弘源寺へ向けてダッシュ! 〈つづく〉


▲豊丸垣

▲築山・三尊石・苦海

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