箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 史上最強の錦秋美・第2日目-1
【11月15日・詳細行程表】長い!
 四条烏丸バス停
  ↓(市バス) 
 山城高雄バス停  
  ↓(徒歩)
 神護寺
  ↓(徒歩)
 西明寺 
  ↓(徒歩)
 高山寺 
  ↓(徒歩)
栂尾バス停
  ↓(JRバス) 
御室仁和寺バス停
 ↓(市バス)
妙心寺北門前バス停  
 ↓(徒歩)
食事「萬長」
 ↓(徒歩)
大法院
 ↓(徒歩)
等持院
 ↓(徒歩)
等持院駅
 ↓(京福北野線・嵐山本線) 
嵐山駅
 ↓(徒歩)
宝厳院
 ↓(徒歩)
弘源寺
 ↓(徒歩)
嵐山駅
 ↓(京福嵐山本線) 
四条大宮駅
 ↓(市バス)
ホテル
 ↓(地下鉄)
知恩院
 ↓(徒歩)
食事「みつ」


高雄の紅葉には以前から憧れていたものの周山街道の大渋滞を想像して躊躇していたのですが、そろそろ行っとくべきでしょう!ということで対策考えました。1. もちろん平日狙い 2. 早起きする 3. 四条烏丸始発市バスを利用 4. 昼食前にとっとと下山する。以上、簡単です。

8時台の始発バスに乗るべく早起きをして四条烏丸へ向かった。混雑を予想して早めに到着したのだが、どうしたことか次々とハケてゆく通勤客の列しか見あたらない。げげげ、拍子抜け。結局バスはやっと席が埋まる程度の乗車率で出発したのだった。道路も全く渋滞することなく紅葉の周山街道をスルスルと登って行き、さわやかに山城高雄バス停に到着した。さわやかすぎる・・・



 ●神護寺

和気清麻呂が建立した二寺を天長元年(824)合併したのがおこり。初代住職・空海はここで真言密教の基礎を築いた。一時荒廃し文覚上人により源頼朝の寄進で中興されるも応仁の乱でほとんどの堂塔を失う。江戸初期に再建され昭和年間には金堂・多宝塔も新築された。
日本最古の両界曼荼羅など寺宝多数。山内全域は京都屈指の紅葉名所として知られている。

左:橙色一色の硯石亭  
右:和気清麻呂公霊廟→ 


バス停から境内に至るまで歩きにくい石段が続くが、すがすがしさ満点。清滝川を渡ってからは山道の周囲は橙色のカエデだらけで急な登りも苦にならない。途中の茶店は紅葉の海の中に埋もれているようで呆然としてしまう程だ。

山門まで登ると結構な人数の参拝客が既に訪れていたが、境内がかなり広いので全く混雑することなく進めた。和気清麻呂公霊廟近辺など真っ赤な紅葉が至る所に。応仁の乱による焼失を免れた空海の住房跡・大師堂ほか立派な堂塔を巡りながら景観を楽しめる。
紅葉ばかりに気を取られてしまいがちだが、ここは唐から戻った空海が最澄らとともに灌頂(密教の儀式)をとり行ったという真言密教の寺院だそうである。また、中興の祖・文覚上人は横恋慕した女性の夫を殺害しようとして誤って女性を殺害してしまい出家、その後、超人的な荒行を積んだというとんでもない経歴を持つそうだ。意外に怪しげな寺だったのね神護寺・・・

かわらけ投げで有名な地蔵院からは遙か眼下に錦雲渓が見渡せた。かわらけ、投げてみたのだがコツがわからず情けない飛びかたでシオシオのパー状態(T▽T)
一回りして山門前に戻ると時刻は10時半、団体さんなどが続々と到着し始めており大混雑。しかし入れ違いに境内を出て次の西明寺へ向かうと、共に歩く人はほとんど無くまたまた拍子抜けしてしまうのであった・・・


▲仁王門前に混雑の兆し
▲毘沙門堂
▲五大堂


 ●西明寺

天長年間(832か?)空海の高弟・智泉大徳が神護寺の別院として創建したのが始まりと伝わる。一時荒廃したのち我宝自性上人が中興、多くの堂塔が建てられたが兵火により焼失した。明忍律師により再興され、総ケヤキ造りの本堂が(一説によると)徳川綱吉の母・桂昌院により再建された。
本尊・釈迦如来像は鎌倉時代、運慶の作と伝わる。

神護寺から静かな清滝川沿いを歩き灌頂橋を渡って、秋のみ開いている拝観受付から西明寺に入った。ややさびれた感じを受けるがまもなく鮮やかな赤と橙色の紅葉が目に飛び込んでくる。
狭い境内に、重厚感ある本堂・客殿・鐘楼が紅葉に埋もれるようにひっそりとしたたたずまいを見せていた。先ほどの神護寺の拝観客のかたがたはここまで来るのを断念しているのだろうか?(もちろん団体さんは来れないとしても)非常にもったいないことである。それほどに素晴らしく美しい色づきの紅葉と落ち着いた風情。この色は京都一と言っても過言ではないのではないだろうか。わははは!
客殿では抹茶を頂きつつ目の前の紅葉を堪能し大満足。混雑と無縁の至福の時間を過ごせた。

山門を出て苔むした灯籠が並ぶ石段をあとに高山寺へ向かう。途中しばらく国道を歩くが、トラックが風を切ってかっ飛ばして通り過ぎてゆくので注意が必要。


▲真紅に染まる客殿

▲鐘楼


 ●高山寺

宝亀5年(774)に光仁天皇の勅願で開創されたのがおこりとされる。後鳥羽上皇の院宣により建永元年(1206)明恵上人が中興開山として復興し高山寺と改称した。その後苦難の道をたどるが、江戸時代に入り再興された。
石水院鳥獣人物戯画など文化財の宝庫。また、鎌倉初期に栄西禅師が宋から持ち帰り明恵上人に贈った茶種をもとに作られた日本最古の茶園があり、茶の発祥地としても知られている。

国道から逃げるように山内へ飛び込むと、有名な菱形の敷石と灯籠があり天を覆うような黄葉(?)と杉木立の参道が続く。金堂までの長い道は薄暗くひんやりとして山寺の風情満点。

一番奥まったところに金堂があるが、無気味なほどさびれた感じでかなり淋しい。
石水院の向かい側には柵に囲まれた茶園があった。うっかりすると見過ごしてしまうような一角に「日本最古之茶園」の石碑が立っている。柵の中をのぞき込むとただの植え込みのように見えた。今は現役ではなくモデル庭園として保存されているそうである。


▲日本最古の茶園

敷石と灯籠→

石水院では再び拝観料を払うので「じゃぁいいわ」と帰ってゆくおば様がたも結構居たりした(^^;) オイオイ・・・

明恵上人の住房だった石水院はかつて金堂横にあり半分を経蔵にするなどしていたが、水害を避けるため明治時代に現在の地に移築したそうである。移築と改築が繰り替えさえれており創建当時の姿とはおもむきも違うはず。「明恵上人時代の唯一の遺構」と言われれば確かにそうなのだがやや苦しいかも(汗)
蟇股など透かし彫りから入る光がとても美しい造りだが住むにはスカスカで寒そうだ。簡素な中にポツンと立つ善財童子像の腰のひねりが可愛らしい。縁側から見る紅葉は意外にも葉がちぢれ気味だったり茶色がかっていたりしてちょっと残念。遠目ではキレイなのだが。

石水院

院内には言わずと知れた鳥獣人物戯画(複製)や運慶作もしくは息子の湛慶作(?)とされる可愛い(微妙)仔犬像がある。複製とは言え鳥獣戯画に対面できて感激。生き生きとしたスピーディーな筆づかいとデッサン力が素晴らしい。鳥獣戯画フリークである手塚治虫氏曰く、時代を経つつ何人かの手によって描き重ねられてきたものだそうである。いまだ多くの謎を残す鳥獣戯画、ロマンを感じずにいられようか・・・
〈つづく〉

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