箱庭的世界 >> 京都単独煩悩紀行 >> 史上最強の錦秋美・第1日目-2

 ●東福寺

奈良の東大寺・興福寺になぞらえ、京都最大の寺院を望んだ摂政・九条道家により創建され建長7年(1255)完成した。開山は聖一国師(円爾弁円)。のちに禅寺となり京都五山に列せられるが数度の火災により多くの堂塔を消失、現在の伽藍のいくつかは明治〜昭和の再建である。方丈の「八相の庭」は重森三玲作の昭和の庭。
通天橋の両辺や渓谷「洗玉澗」にはカエデが多く、京都屈指の紅葉名所として知られている。

初めに、先程後回しにしておいた東司(トイレ)。禅寺では生活のすべてが修行の場であり、いわんやトイレをや。隙間から中を覗くと、暗い土間のような地面にボコボコと埋められた壺が並んでいた。
方丈では様々な形態の庭を見ることができる。四方に庭園を持つ方丈はここだけだそうである。ごっつい巨岩を配した枯山水の前庭は鎌倉時代の技法を取り入れたものだが、西・東・北庭は市松模様や北斗七星の抽象的構成でかなり不思議。北斗七星は東司の柱石の余材を利用したものだとか。トイレの柱石・・・重森三玲氏、やはり斬新なかただったようです。

超有名紅葉名所・通天橋は平日にもかかわらず橋が落ちんばかりの大行列が連なっていた。ビビらずに進んで橋の中央まで来れば眼下に広がる錦絵の世界・・・やはり噂通り冷え込みによる色付きが素晴らしいようで思わずほくそ笑んでしまう。


▲方丈北庭(市松の庭)


▲燃えるような通天橋


▲通天橋から洗玉澗を見下ろす

橋を渡ると開山堂へ向かう歩廊があって、顔が赤く染まるほどの色付きの木に囲まれている。渓谷を下るルートへ戻ると、谷の底は日当たりが悪いためか色は普通の感じ。受付側のほうへ渡ったところに良い木が多いが、通天橋をバックに撮影するのは難しいかも。なにしろ人が多いし。

ここは六百年ほど前、境内の桜を全部切ったのだという。修行の妨げになるという理由だそうだが、紅葉狩り客のテンションの高さもかなりなものだと思うのだがこちらは妨げにはならないのでしょうか(^^;)

東福寺境内を出て、次は塔頭の芬陀院(雪舟寺)。




 ●芬陀院(雪舟寺)

元享元年?(1321)関白・一条内経により定山祖禅を開山として創建された一条家菩提寺。数度の火災で堂宇を失うが復興した。水墨画の大家・雪舟等楊禅師ゆかりの寺。京都最古の枯山水庭園・鶴亀の庭と東庭は近畿地方唯一の雪舟作庭と伝わっている。庭園も一時荒廃していたが昭和年間に重森三玲氏らにより復元整備された。

道を一本それるとさっきまでの喧噪はどこへやら、嘘のように閑静なたたずまい。紅葉を楽しむのではなく手入れされた緑が似合う庭だが、時間にゆとりのあるかたはぜひ訪れてみて頂きたいと思う。
言わずと知れた雪舟さんゆかりのお寺である。小僧の頃、床に落ちた涙を足の指で伸ばして鼠の絵を描いたという伝説・・・は、ここ雪舟寺ではなく別のお寺での話だそうだが。

とにかく緑が美しく、渋い! 鶴亀の庭はやや小石が固まりすぎのような気もするが、落ち着いた風情ある庭である。
伝わるところでは、石組みの亀が夜な夜な這い回り住職を気味悪がらせたが、雪舟が笑って亀の甲に大きな石を突き立てると亀の俳諧はおさまったとのこと(^^;) その様子にご満悦の関白・一条兼良が雪舟のために寺を与えようとしたが、雪舟は「安住の地を得るよりも明で画の修業をしたい」と述べたため兼良はその望みを叶え渡明を助けることになったのだそうだ。この亀の逸話がのちの雪舟の画風に非常に大きな影響を与えることになる。亀に乗って明に渡ったとも伝わるゆえんである。(オイオイ・・・)

茶関白と呼ばれた一条恵観ゆかりの茶席・図南亭の丸窓から庭を望むのもまたオツなものである。もう少し障子を開けさせて頂いて写真撮れば良かったかも、なんて。

【番外編という名の補足・オマケ】没後500年特別展「雪舟」


▲関白・一条恵観愛用の手水鉢

▲図南亭の丸窓と東庭


 ●天得院

正平年間に玉渓慧格を開山として創建され、東福寺五塔頭の一つであった。豊臣秀吉・秀頼の学僧でありこの寺を住菴としていた文英清韓が方広寺の鐘銘を撰文したことから家康の非難を受け堂宇を失うが、のちに再建された。桃山手法による枯山水庭園は近年、中根金作氏の指導により一部補修されたもの。

芬陀院から徒歩すぐの天得院は境内に幼稚園があり「ここでよいのか?」と一瞬迷うが気にせず入ろう。苔に覆われた庭園にはなんとなく民家の庭っぽく草花が茂っている。というかこの時期は花の季節ではないので草だけで少々淋しい状態。しかし小さな堂内いたるところに水野克比古氏撮影の花の写真がこれでもかと飾られていた。キリシマツツジやさつき、桔梗などが楚々と咲く季節には華やかになるようである。
パンフレットによると、ここを住居としていた文英清韓が豊臣秀頼の命により方広寺の「国家安康 君臣豊楽」の鐘銘を撰文したのだそうである。家康に因縁をつけられこの寺も壊されてしまうという災難にあったそうでびっくり。意外なところに意外な史実がっ! ところで、壊したのは家康側なのかそれとも逆ギレ&八つ当たりした秀頼なのか? まさか・・・〈つづく〉


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